母の点滴に通う毎日で疲れが溜まって、どうにも動けないと言うことで

WOWOWで観た映画 予告だけは観ていたのと

うちの母もお姑さんの八つ当たりを子供にした。

私がお姑さんに声が似ているからと、そういう時は目の敵

自分たちがつけた名前をお姑さんによって替えられたと言うこともあり

色々辛かったのだろう。 そこでこの映画

解説

小説家・漫画家の歌川たいじによる同名コミックエッセイを太賀、吉田羊の共演で映画化。タイジは幼い頃から大好きな母に愛されることなく育てられた。母からの愛の欠乏、さらに壮絶な家庭環境に耐えかね、17歳で家を飛び出し、1人で生きることを選択したタイジだったが、友人の言葉に動かされて母ときちんと向き合う覚悟をする。大人になってもタイジを拒絶する母。そんな母からの愛を取り戻すため、タイジは母に立ち向かっていく。タイジ役を太賀、母・光子役を吉田がそれぞれ演じ、「レディ・プレイヤー1」の森崎ウィンをはじめ、白石隼也、秋月三佳、木野花らが脇を固める。監督は「すーちゃん まいちゃんさわ子さん」の御法川修。

2018年製作/104分/G/日本

 

たいじはこういう子に限って、親の愛情に報いるためには、どうしたらいいかって

母親に取り入るような事をするのだが、それがまた母親の勘に触ると言う悪循環を

繰り返す。

映画の最初では、どうして子どもを愛せないのに、子どもを持つのだろうと

まで思った。でも初めから子供を愛せない訳ではないのだよね。

 

母親から怒られてばかりのたいじだが、彼のうちは、工場でたいじが生まれた時からいた従業員の”ばあちゃん”(木野花)が

愛情を持って接してくれて、たいじは素直に育つ。

たいじが太りすぎて、その治療のために施設にやる場面があるけれど

これだって、たいじが嫌いだからではないと思うけれど

子どもにとって、訳もわからず親から離されるのは、何故と言う疑問ばかり残るのだろう。

 

たいじの笑顔が好きだと言う”ばあちゃん”の教えと、大好きだった母が料理上手だったので

その味を出すことによって母親を感じようとするたいじ

でも料理が上手って言うことは愛情があるってことじゃないかって気もする

愛情がなくちゃおいしい料理なんて作れないと思うけれど、どうなんだろう。

たいじは頑張って通信制の大学を出て、いいところに就職するが

ノルマをこなそうとするうちに、同僚に対して母親のような態度を取っていることに

気がついたりして、そういう自分の性を母親のせいにしたりするが

ある時、チラシを見て飛び込んだ劇団でアイドルっぽい嫌味なキミツに母親のような

二面性をみて、つっかかるが

キミツの方もたいじが気になって、お互いに正面から向き合う

母親とはできなかった関係が築かれる。

キミツは、嫌味な奴なのだが、言うことがイチイチ納得させられるし

良い事を沢山言ってくれる

「ぼくんちじゃさ、理解できる余裕がある人が相手が理解してくれなくても

理解することになっている」

なんて言う。

「言わなくちゃ解らない」とか、

会社仲間の中で仲良くなったカナとその恋人の大将も

たいじの気持ちをほぐしてくれるし、母親の大変さを身を持って

教えてくれる。

”ばあちゃん”や”ばあちゃん”の弟さんとの再会でも、たいじの心の中の

お母さん大好きを掘り起こしてくれる

 

そうやって、みんなに後押しされて、たいじはお母さんとの距離を縮めて行こう

とする。

お母さんの心のうちも解って、お互いに数年でもちゃんと親子らしい親子が出来て良かったと思う。

 

「蜜蜂と遠雷」でも好演していた森崎ウィンがここでも好演

主演の大賀を引き立てていた。

 

 

そうそう、うちも母も

この認知症になるまでは、強気で怖い母親だったけれど、

認知症になってから、肩肘張ってばかりいられなくなったのだろう。

なったばかりの頃に、言いたいことを全部言って母の気持ちもみんな吐き出させた。

 

この映画の母親とは違って、結婚前は、子どもの頃から

ちやほや育てられ、学校でも、みんなの人気者で職場でも御嬢さんと大事に

されていたから、結婚してから、大家族の中でとても苦労をしたようだ。

子どもと遊ぶどころか接することが出来ないくらいこき使われたようだ。

弟は、訳あってしばらく別居した時に生まれた子なので、溺愛された。

それでも介護して行く上で弟と話し合うと、やはり厳しい母親だったと

言っていたから、やはり親と同居している間は、きつくなっていたのだろう。

そうは言っても私が5年生の時に別居しているので、

それ以降、そんなに厳しかった記憶はないのだが