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若年性アルツハイマー病と診断された50歳の言語学者の苦悩と葛藤、そして彼女を支える家族との絆を描く人間ドラマ。ベストセラー小説「静かなアリス」を基に、自身もALS(筋委縮性側索硬化症)を患ったリチャード・グラツァーと、ワッシュ・ウェストモアランドのコンビが監督を務めた。日に日に記憶を失っていくヒロインをジュリアン・ムーアが熱演し、数多くの映画賞を席巻。彼女を見守る家族をアレック・ボールドウィン(夫)、クリステン・スチュワート(次女リディア)、ケイト・ボスワース(長女アナ)ハンター・パリッシュ(長男トム)が演じる。
この映画は、若年性認知症を扱っていて
母のように、80歳近くで発症したのとは、違うかもしれないけれど
少しでも、母の気持ちに近づくことが出来たならと
思い、早速観に行きました。
映画は、アリスが50歳の誕生日を迎えるところから始まります。
観ている自分もそろそろ老化現象なのか、記憶力が衰えているのか、衝撃的だのか
記憶があやしいところがありますが、
この家族は仲がよくてよく家族みんなで集まります。
その誕生日の時、子供たちが集まるのですが、子供たちが何人なのか誰が上で誰が下なのかもわかりません。
あとで解りました。
アリスの夫、長女とその夫、長男トムとその彼女で、次女のリディアが欠席だったのですが、アリスは、トムの彼女が認識できておらず、二度挨拶をしてしまいます。
こちらも、人間関係がまだ解らなかったので、あれって言うくらいの違和感。
そういう描写が上手です。
またアリスは、言語学の教授なのですが、講義の時に言葉が出て来なくなります。
それも、とんちの効くアリスは、うまくユーモアでかわして
帰りの車の中で、「あれは、”語彙”だったわ」とつぶやくのです。
こんな経験も取り立てて心配することではない。疲れていたんだわって
自分でも通過してしまいそうです。
そして、日課のようなランニングの時に自分がどこにいるのかわからなくなります。
こういうのも初めて来た場所なんかでは、向きを変えるとありがちなことですが、
アリスの場合は、自分がよくランニングしている場所のようで、
度重なる不安に神経科を訪れます。
まずは、口頭での検査ですが、日本の長谷川式のようではなくて
病院に行ったら尋ねられることの延長のような形で質問され
答えられない時に、観ているこっちさえもあれ、やられたと思うくらいです。
そして心配を解消するために受けた様々な検査で
彼女は若年性認知症とわかるのです。
ここからは、少しづつエピソードだけ
母の症状と合致するところが印象に残りました。
介護施設を訪問した時のことです。
スタッフが色々と案内してくれて、まだ彼女がそうだとは解らないこと。
母の時もそうでした。
かかる費用まで母に言うのでおかしいなと思っていたら、
帰る時に、「今度はご本人も連れて見学に来て下さいね」と
言われたこと。
頭が回る人は取り繕いが上手になってわかりづらいのです。
特にアリスは、インテリジェンスが高いから、パソコンも上手に使いこなすし
いろいろな手立てで失っていくもののカバーをします。
彼女が自分あてにビデオレターを作っていて、それを実行しようとするところなんて
もし自分が認知症になったら、実行できないと思うところ
さまざまな工夫で、それに向かいます。
こういう努力のあとも実家に毎日行っていたころは見受けられました。
大事なものが奥にしまいこまれ、危ないものが手元近くにある。
母にもそういう気持ちの波があったのだろうなと
また家族の対応も丁寧に描かれ、まさに認知症あるあるの映画でした。
この監督はアカデミー賞受賞の時に病気がよくなくて出席できませんと
さらっと言っていましたが、その後の3月に亡くなったそうです。
ご自分がALSで、どんどん体の機能を失っていく、その喪失感が
普通では考えられないようなところが伺えます。
認知症のご家族を持たない人がどのような感想を持たれるのか
想像できませんが、ご家族や知り合い、またそういうお仕事をされている方には、
まさに、今起こっていることを凝縮している映画ではないかと思います。
日本には、家族型のアルツハイマーは少ないと聴きますが
それの多い、アメリカでは、早急に対応がのぞまれるのが切に伝わってきます。
老人性のアルツハイマーは、こんなに早く進行しないと思いますし
母の場合は、これほどではなかったですが、
それでも
気がつけば、ビデオレターの前のアリスとその画面に写っているアリスくらいに
違います。
彼女が鏡にクリームを塗りつけていましたが、
母も、鏡の向こうにいる人は自分なのとか、
高齢のため、髪が一夜にして白くなったとか、写真を切り刻んだりします。
取りとめもないですが、母の気持ちが少しでも理解できたかなと
思えた映画でした。 |
