【大分】石の文化財!豊後大野市三重町の「森迫石幢」「回春庵墓地」で静かな時間を過ごす | いっちきち!やっちきち!豊後大野

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大分県のなないろベース(豊後大野市青年団)のブログです。活動のこと、豊後大野市のことを紹介します!

 

おごめ~ん、団長タカッチ親方です(`・ω・´)ゞ

 

団員による、豊後大野市紹介コーナー!

 

今回は、マニアックな穴場スポットをご紹介!

 

📝大分県豊後大野市で文化財調査員をつとめる私。 地元にある宝物=文化財と出会うのが楽しみです♪

 

今回の舞台は、三重町森迫地区。三重町の北東部、菅尾(すがお)地域にございます。

 

▽緑ゆたかでのぞかな山の麓の地域です⛰

 

この地区には、中世の豪族:森迫氏にゆかりのある文化財が複数ございます。

 

▽森迫地区にある看板で紹介されております!

 

▽先日、📝大分県豊後大野市青年団のあじさい鑑賞会で訪問した大辻山にある看板にて、「森迫氏」という名前が登場し、木になっていました♪

 

その森迫地区で、2つの文化財を初訪問!

 

 
  1. 「森迫石幢」
  2. 「回春庵墓地」

▽いずれも、「石の文化財(宝物)」がある場所です。

【大分】石の文化財!豊後大野市三重町の「森迫石幢」「回春庵墓地」で静かな時間を過ごす

 

豊後大野市に、こんな場所があったんだ!大友氏から信頼されていた豪族がいらっしゃったんだ!」と、地元民ながら初の出会いに興奮!

あなたにも、豊後大野市の穴場をご紹介!機会がございましたら、現地で石の文化財&静かな空間をお楽しみくださいませ♪

 

 

<⛰目次>

 
  1. 「森迫石幢」|公民館近くに立つ石の宝物
  2. 「回春庵墓地」|中世森迫氏やお寺の住職のお墓などがたくさん眠ります。

 

最初に、動画にて現地の雰囲気を感じてください🎥
 
 
 
続いて、写真&文章でお楽しみくださいませ📷✎

 

(1)「森迫石幢」|公民館近くに立つ石の宝物

▽場所はこちら

 

▽道路沿いに、上へと続く長い石段あり。運動のつもりで上りましょう。

 

▽石段の先には、木の門と森迫公民館あり。

 

▽その門の近くに立つ石が、「森迫石幢」です。

 

【💡森迫石幢をご紹介(豊後大野市役所公式ホームページから引用)】

森迫区回春庵跡(現森迫区公民館)敷地内にあり、下の道路脇から移転した。

総高185cm、宝珠を欠失している。基礎・塔身・笠は平面は円形で、龕部は八角で六地蔵と十王像二体を薄肉彫している。

幢身の銘文により天正6年に日向(宮崎県)耳川で戦死した森迫鎮富の供養のため、その娘が安土桃山時代の天正9年(1581)に造立したものである。

 

 

中世森迫氏にゆかりのある文化財です。森迫氏につきましては、「大分県豊後大野市より気ままなblog」さまで詳しくご紹介されておりますので、紹介文章を引用いたします。

 

森迫氏の出自は武蔵国猪股荘、大友能直の豊後国下向に随伴したと伝わっているそうですが、初代当主・大友能直の時代に大友家は豊後・筑後守護職と鎮西奉行職に輔任されたものの、能直と第2代当主・親秀の時代には豊後に下向したという記録は残されていないので明言は出来ません。


森迫鎮富の時には大友氏の奉行として活躍、大友氏の信頼は厚かったそうです。鎮富の嫡子「三十郎親正」は天文20年(1551)8月、大友宗麟の肥後国菊池郡合志城攻めに参戦、子息の親正が合志常陸守の郎黨(家來)山本三十郎に討たれ17歳で戦死しています。

合志常陸守が親正の死体を見れば、冑の中に「命より名こそ惜しけれ武士の道にかふべき道しなければ」の一首の歌があり、常陸守は天晴れなる武士かなと感じ、死骸を大友の陣所に送ったと言われています。

 

豊後(大分)を治めていた大友氏と縁があり、信頼も厚かった森迫氏がこの豊後大野市三重町にいらっしゃっということは、地元民の私でも初耳です!(私は千歳町の人間という言い訳はさておきw)

 

▽市内各地にある石幢で、六地蔵と十王像を楽しむのも通ですね!

 

 

▽森迫公民館近くには、上へと続く獣道があり。

 

この獣道を上った先が、次なる目的地「森迫回春庵墓地」です。

 

 

 

(2)「回春庵墓地」|中世森迫氏やお寺の住職のお墓などがたくさん眠ります。

▽獣道を上るや否や、多くのお墓や石塔と出会います。

 

▽現地看板。

 

【💡森迫回春庵墓地の紹介(豊後大野市役所公式ホームページから引用)】

森迫区の回春庵跡の上にあり、室町時代の永享6年(1434)~江戸時代の元禄2年(1689)までの約250年間にわたる石塔類48基が確認できる。

銘文により地元の中世豪族森迫氏及び回春庵寺僧の墓碑であり、宝篋印塔や宝塔など各種形式の石塔が確認できる。

森迫氏は、戦国大名大友氏の家臣として三重郷を支配しており、回春庵は森迫氏の菩提寺であったと推定されている。

 

 

▽墓碑など。

 

 

▽宝篋印塔や宝塔など、美しい形の石の宝物も多いです。

 

晴れた夏の日ですが、草も生い茂り、少しばかり静かでクールな雰囲気の場所でした。

豊後大野市民ながら、初めて出会う場所に興奮♪地元に戦国大名から信頼された豪族がいらっしゃり、その名残が石の文化財として残っていることが魅力です✨

身近にある場所での新たな発見は、刺激をいただけますよ!

 

あなたもぜひ、地元にある魅力や宝物と触れ合ってくださいね♪地元がもっと大好きになり、人生も生き生きとしますよ✨

 

以上です(`・ω・´)ゞ最後までお付き合いいただきありがとうございましたm(__)m

 
 

 

 

 

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