改めまして・・・
ブログを読んでくださっている皆様へ・・・
いつもありがとうございます
本年も、不定期ではありますが思いつくままのことを書いていくつもりですのでまたよかったら読みに来ていただけますと
幸いです。
2024年が皆様にとって、穏やかな一年になりますよう・・・
と言いつつ、元旦には地震
翌二日には飛行機事故と・・・
厳しい出来事が起こった。
八代亜紀さん、小金沢昇司さん、エスパー伊東さんなど有名人の訃報が続々と届く。
新年早々気持ちが沈んでしまうことが満載。
なかなか穏やかな気持ちにはなれないのが現実。
二年前の今頃、私は躍起になって娘の療養先を探していた。
脳死になり、人工呼吸器がコンパクトなものに替わり、胃ろうの手術を終えると急性期の病院は出て行かないといけないということで・・・
療養専門の病院を紹介されていたのだが、コロナのせいで家族はいっさい面会できず危篤になってからじゃないと娘とは会えないと告げられたことが受け入れられず、在宅も含めてグループホームなど模索していた。
たった二年前のことだが、とても長い時間が経ったような気がしている。
それくらい一日一日を過ごすことが重かったんだと思う。
あいかわらず、私はフリーランスとして仕事を探しながら自分らしく働く道を模索しもがいている。
様々な仕事をかけもちして頑張って働いているが、気持ちは落ち込むことが多くなった。
自分が惨めに思えてきて、自分が持っていないものばかりに気がいってしまう。
自分が何者で、自分がどうしたいのか・・・わからなくなっているような。
二年も経てば、周囲はどんどんと娘がいなくなったことさえも風化していく。
どんなに親しくしていても、他人に同じように共感してもらいたいと思うのは無理なことだとわかっている。
こうして、自死遺族は孤独を感じて気持ちが孤立していくのかもしれないなって思ったりする。
自死遺族にとって、「時間薬」という言葉は無いのだから・・・
とくに逆縁の場合は、我が子と会えない時間が増えれば増えるほど悲しみや苦しみはどんどん増幅していく。
でも、周囲はどんどん忘れていく。
その乖離がいっそう自死遺族の心を頑なにしていってしまう気がした。
わかっている。
自分の悲しみは自分で整理して消化しなければならないことくらい。
でも、まだ二年。
もう少し、周囲の支えが欲しいというのはわがままなのかな。