最近、以前に書いたこの記事↓についてコメントをいただいたので・・・
それに関連する話を書いてみようと思う。
12年超、お世話になってきた病院という場所。
その間には、様々な出来事がありいろいろな感情が沸いた。
理不尽な扱いを受け、口惜しさで怒りに震えたこともある。
どうしていいかわからず不安で、意識が朦朧としたこともあった。
許しがたいと思うことのほうが多くあったが、救われたと思うこともあった。
今回は、”救われた”話を書きます。
リストカットを繰り返していた娘だが、酷いときは縫合が必要になるときもあった。
大学病院にかかっているときは、そこで対応してくれていたが、精神科単科の病院にかわってからは
院内で縫合はできないので自分で外科のある病院へ行ってくれと言われるようになった。
はじめは、夜中に市民病院にかかることが多かったのだが当直の医師はいつも良い顔はしなかった。
なんだかめんどくさそうで、「自分でやったことなんだから自業自得だ」と嫌味を言う人もいた。
娘は理解されない口惜しさや、悲しさで病院に縫合に行くのを次第に拒否するようになっていった。
私は地域の外科のクリニックを探そうとネットで検索すると、遠くないところに「外科」という文字がつく病院を見つけた。
電話をかけ、訊いてみた。
「あのぉ・・・自分で腕を切ってしまって・・・そういうのって縫合とか処置してもらえますか?」
すると電話の向こうの方は「えーっと・・・うちは外科は外科でも肛門科なんですよね💦」
まぢかぁ・・・
「先生に聞いてみますのでお待ちください」と言われ、しばらく待つと「縫合くらいならやれるとのことなので来てください」とのこと。
肛門科にリストカットの縫合をしてもらいに行くってどうなの・・・と自分で問い合わせておきながら不安な気持ちで娘を連れて行った。
座るところがないくらい待合室は満席で、そんな中、腕を血だらけのタオルで巻いたまま待つのはかわいそうだと配慮してもらえて車で待つことに。
しばらく待って、診察室では副院長が対応してくださった。
娘には、世間話をしながら縫合を・・・
そして、こう言った「これさぁ(ちょっと前に縫合したばかりの傷を見て)すごい細かく縫ってあるでしょう。どうしてかわかる?傷がくっついたときに少しでも目立たなくなるように丁寧に縫ってくれてるんだと思うよ。感謝しなきゃね」
けして押しつけがましくなく、説教じみてもいない口調だった。
「いつでも遠慮せず来ていいからね。縫合くらいならいつでもするから・・・」
温かい言葉で見送ってくれた。
これを機に、縫合が必要な時はこの病院へ行くようになったのだが、ある日娘が治療をしてもらいたくないと不穏になったことがあった。(自傷の当事者は治療をしないことも自傷だと捉えることもあるようだ)
その日も、娘を車で待たせて私は病院で受付を済ませた。
順番が来て、人目に触れないように裏口から診察室に入れるように案内してもらっても娘は車から降りてこなかった。
しばらく押し問答が続いて私が困り果てていたとき、その副院長が治療の器具を抱えて車まで来てくれた。
上半身を車に乗り込んで治療してくれたのだが、下半身は土砂降りの雨でずぶぬれになっていた。
濡れようがなんだろうが関係ない。そんな姿勢を感じた。
私は、「この先生に足を向けて寝られない」そう思ったのを鮮明に覚えている。
その後も、「うちにかかるときは前もって電話くれたら診察できる時間を伝えてあげるよ」と言ってくれ、実際にかかってきた時間は夜の10時を過ぎたころ・・・そんなこともあった。(なんせこの病院は患者さんが多いし、診察が丁寧なので時間がかかる)
かえって申し訳ないくらいの時間だったが、急ぐことなくじっくりと対応してくれた。
娘はその先生のところに私が付き添わなくても自分で行くようになっていた。
安心していい相手だと思えたんだと思う。
いつもこちらの立場を考えて言葉を選んでくれていた。
私にとって病院は、味方とは思えていなかったが
この先生に救われ、「捨てる神あれば拾う神あり」そんな言葉が思い浮かぶような先生だった。
まさに医療従事者の鏡のような先生だ。
娘が死んだことをまだ伝えていない。
いつかきちんとご報告したいと思っている。