この秋。

思い切って、洗濯機を新しくした。

これまでのものは、娘が千葉で一人暮らしをするために買った洗濯機だった。

20歳くらいのとき、彼氏と別れた娘はそれを機に夢だったディズニーのキャストオーディションを受けた。

笑顔がかわいい娘なので、案の定一発で合格し、第一希望のアトラクションキャストとして働くことになった。

千葉での一人暮らしだ・・・。

 

頑張って働いていたが、普通に勤務できたのは3か月。

その後は休み休み、誤魔化しながら続けていたが半年ほどで退職した。

→ この話はまたの機会に詳しく書きます

 

その時に使っていた洗濯機を家でもずっと使っていたが、そろそろ9年。

調子が悪かったわけではないが、槽の汚れも気になってきていた。

息子もいなくなり、私ひとりならこれでも充分だったのかもしれないが・・・

 

息子が社会人になってから1年半ほど生活費を入れてくれていたので、そのお金を使おうと決めた。

 

新しい洗濯機を置くにあたり、洗面所の荷物を整理していたら・・・

あるものが出てきた。

乾電池」だ。

 

娘が、病棟で飲み込んだ乾電池だ。

電子辞書に入っていた乾電池だ。

病院で胃カメラで取り出した乾電池だ。

 

私はその乾電池をあえて捨てていなかった。

なぜかわからないけど・・・

 

 

 

日曜日のある日、病院からの電話。

「娘さんが、自分の電子辞書の中の乾電池を飲み込んだので今から処置のできる病院へ連れて行かないといけません。お母さん、今から迎えに来れますか?」

そんな内容の電話だった。

 

乾電池を飲み込むなんて、聞いたことがない。

なんてことしてくれたんだ・・・

乾電池って飲み込むとどうなるんだ?

 

頭の中でいろいろな想いをめぐらせて、私は入院していた病院へ向かった。

 

担当の看護師さんも付き添ってくれて、処置ができる大きな病院へ行った。

レントゲンには、飲んだ乾電池がしっかり映っていた。

胃カメラで引っ張り出せたらいいけど、無理なら開腹手術と告げられた。

 

何時間も待たされ・・・

その間、ずっと付き添いの看護師さんも一緒にいてくれて・・・

娘のことをあれこれ話して時間を過ごした。

 

無事に胃カメラで取り出すことができ、事なきを得た。

 

病棟にいると自傷ができない。

あれこれ考えを尽くしてなにかやる。

 

どうしてそんなに自分を傷つけたいの・・・

 

もはや「どうして」なんていう言葉は無意味だった。

 

私ももうそんなことは考えられなくなっていた。

ただただ、目の前の事象に対処する・・・

それだけ。

 

本人もきっとそうだったのかもしれない(わからないけど)

はじめは何かしらの想いがあってやり始めた自傷行為

リストカットからはじまって、その範囲は腕だけでなく太もも、首、腹・・・

身体中に広がっていった。

首絞め、大量服薬、食べ吐き、摂食拒否、そして瀉血

もう自分ではコントロールできない状態になっていた。

自分でもこれはもうaddiction(依存/中毒)だと考えていた。

何冊も松本俊彦先生の本を読んでいた。

 

電池を飲むという行為をその一環だったのだろう

 

娘の自傷行為の対応は、もう数えきれないほどで・・・

ある時、主治医の先生から「そういうときは、とにかく一喜一憂しないで目の前のことを淡々と処理してください。親としてできることを淡々と・・・。血を拭く、病院へ連れて行く、ご飯を作る、洗濯をする・・・」

こう言われてから私は感情を持たなくなっていった。

先生の言うように、その都度、悲しんだり苦しんだり悩んだりしていたらきっと私は壊れていたと思う。

 

今思えば・・・

そんな淡々と対応している私に物足りなさや不満を持っていたかもしれないけど・・・

そうしないと自分を保っていられなかった