病院に運ばれ、いつものように私は待合で待たされていた。

いつものように数時間・・・

この病院は、自傷で病院が必要なときいつも運ばれる急性期の病院だ。

だから、いつもの待合は過去のことをいろいろ思い出す場所でもある。

 

父親も呼んだ。

一応、来たが・・・

これもまたいつものように迷惑そうな雰囲気を醸し出していた。

 

数時間待たされ、やっと呼ばれた。

「眠って見えますので・・・今日は念のため病院に泊まってもらいますね。病棟の準備ができるまでしばらくお待ちください」と言われ、娘の眠っているベットの脇に座った。

前歯が折れていることに気づいた。

倒れた時、ぶつけて折れてしまったんだろう・・・

「あーぁ、また治療しないと・・・。きれいに治るのかな。歯並びはいつも褒められるほどきれいだったのに・・・」

などと思いながら娘を見ていた。

 

「今日は念のため、病院に泊まってもらう」という文言から、「たいそれたことにはいたらなかったんだな」と思った。

 

数日間眠り、また目を覚ます。

 

そんなふうに思っていた。

 

それまでに・・・

何度、こんな場面があっただろう

もう数えきれない

 

些細なものから、重篤なものまで13年の間に何百回も繰り返した

 

全てを覚えてられないが、衝撃的なときのこと断片的に覚えている

 

娘がまだ10代で、大学病院にかかっていた頃に同じようにODをして救急で運ばれた。

その時はICUに数日入ったのち、一般病棟に移り、面会に行ったとき・・・

なんともいえない形相で私を睨み「なんで死なせてくれなかったんだ」と言われた時の衝撃が忘れられない。

「なんで?って・・・私は親だから・・・助けるにきまってるじゃん」そう答えたような記憶がある。

 

薬で朦朧としているときに原付を運転してガードレールに自損。

救急車で運ばれ、そのまま骨折の手術になって・・・

病院へ駆けつけた時も。

 

瀉血してショック状態になり、風呂場で倒れて病院へ運んだときヘモグロビンは3を切っていて・・・

医師に「こんな数字みたことない。いつ心臓が止まってもおかしくない。明日の朝、目を覚まさないことも覚悟してください」と言われたことも。

 

近所の河原で大量の薬を酒で飲んで、通りすがりの人に通報してもらい病院に運ばれ・・・

何日も目を覚まさないこともあった。

 

こんなのは、ほんの一部のエピソードで・・・

ほんとうに、ほんとうにいろんなことがあった。

 

だから、「あの日」のこの時も・・・

またきっと目を覚ますと思っていた。