菩提寺のご住職がつけてくれた戒名は「彩雲浄咲信女」
娘の名前の漢字が一文字も入ってないけど・・・と思ったが、意味を聞いて私は納得した。
咲き誇る笑顔が彩る・・・という意味と捉えた。
若い女の子らしい漢字が使われていて悪くない。

コロナ禍ではあるが、 娘ときちんとお別れをしてほしいという想いで家族葬とはうたわなかった。
私の仕事関連、息子の活動関連など多くの方がお花を供えてくれ式場は華やかになった。
祭壇はピンクの花があしらわれ、たくさんのお花に囲まれ、ピンクの棺がかわいかった。
大好きだったミッキーやプリンセスたちやリラックマなどでにぎやか。
なにより、友人が飾ってくれた娘の写真がたくさんで・・・私はとてもありがたかった。

娘のスマホを開くことができないので、娘が直接交流している方には連絡のとりようがなかった。
私も絡んでいる人たちには連絡ができた。
すると、中学校の同級生たちやそのお母さん、そして副担任だった先生や隣のクラスの先生までもが弔問くださった。式後、同級生たちが色紙にたくさんのメッセージを残してくれたので祭壇の中央に飾った。
娘は中三の五月までしか中学には通えていない。
中高一貫の同級生からしてみたら6年のうち2年しか一緒にいなかった娘のために、こうして駆けつけてくれて涙を流してくれたことをありがたく思った。
そしてそのお母さんたちまでもが・・・
私もあの頃はそれなりに頑張ってPTAの活動もしていた。
いろんなことに誠意をもって参加することは、こうして自分にちゃんと返ってくるのだと思った。

喪主の挨拶もしようかするまいかあまり考えておらず・・・
なんとなくメモ程度に下書きは用意したものの、直前にそれを読むのをやめた。
思ったことをそのまま話した。
一人一人、ご焼香してくれている姿を見ていていろいろな想いが出てきたから・・・

本当に故人になってしまったんだなぁ・・・
どうしてこうなったんだろう?
これまでいろいろあったなぁ
こんなに来てくれてありがたいなぁ

閉式後、それぞれが集まって立ち話をしている皆様の様子をバタバタしながらも感じながら改めて思った。家族葬と言わなくてよかった。
久しぶりの人、懐かしい人、そんな人が故人を介して集まって話をすることこそが儀式の意味があるなぁと。

夜も日をまたくまで、弔問の方がいらっしゃり私は娘との最後の夜を悲しむ間もなく朝を迎えてしまった