別居当時、東日本大震災があり

私が住む地域では被害など全くなかったが大きな揺れは体験した

 

 

たまたま見た報道番組

 

 

宮城県東松島市に住む3兄弟とその母親のドキュメント

海岸沿いの道路を走った一家の車だったが、

津波に車ごと飲み込まれ必死の思いで車を乗り捨てた。

母親は次男と三男を腕に抱えながら長男と共に歩いて避難したが

水かさが増し、体力を奪っていった。

そんな中、流れてきた冷蔵庫を見つけ、

1人を冷蔵庫の上に置いて2人を先に逃すことにした。

すると、次男が冷蔵庫の上に残る役割を名乗りでた。

 

 

家族みんなで生きるためにしたこの選択

このお母さんは本当に強いなって思ったと同時に

このお母さんみたいに、私は子供を冷蔵庫の上に残して

その場を立ち去ることができるか自問自答した

 

 

このお母さんの気持ち、

そして冷蔵庫に残った次男くんの気持ちを思うと

あまりに残酷で、あまりに切なく涙を流したことを覚えている

 

 

それと同時に

何かあったときに、私は1人でこの子達を守れるか?

そう考えると頼る人がいない生活に恐怖を覚えた

 

 

万一、何かあったとき

息子をおんぶして、娘を抱っこする

絶対離れないように紐で縛ればいいだろうか…

そんな最悪な事態を考えたこともあった

 

 

万一、何か起こったら

小学校の体育館横のトイレの前に集合

何があってもそこに向かうから、みんなは信じてそこで待つこと!

ずっとそう教えてきた

 

 

そして小さいときから身1つではぐれても大丈夫なように

私の携帯番号と、祖母の携帯番号を暗記させてきた

1か月に1回位、確認のチェックを行い

通りすがりの人に「携帯電話かしてください」って言うこと

断られても10人中1人はきっと貸してくれるからと教えてきました

 

 

自宅で何かあったらお隣さんにピンポンして助けを求めること

家から一番近い交番を散歩コースにして、

何かあったらここまで全力で走ってくることなど

イザって時はどう行動すればいいか小さいときから話してきました

 

 

とにかく子供達を守ることに必死でした

1人で守らないといけないことの重圧が怖くて仕方なかった

 

 

 

あれから10年

 

 

 

子供達は私の背丈を超え

きっと、こんな指示がなくても自分たちで逃げる事ができるでしょう

どこではぐれたとしても家まで帰ってこれるでしょう

むしろ何かあったとき、私を助けてくれる程に逞しく育ってくれました

 

 

もう、抱きかかえて逃げなくていいんだ…

母子家庭として育ててきて、重圧から解放された瞬間でした

 

ただ、

子供達が自分1人の力で生きていけるようになるまで…

子供達を残して死ぬわけにいかない

 

 

死んでも死にきれない

 

 

病気や事故に対しての恐怖心は常にあります

自分の事を本気で大事にしようと思ったのもこの時期

健康診断やガン検査は毎年欠かさず受けています

母子家庭にならなかったら、

ここまで深く考えなかった事かもしれません

 

 

子供達が大人になるまで…まだまだ気は抜けません