西武・外崎の“野球脳”を育てた弘前の恩師 「有名私立では埋もれていたかも」 | 浜のおじさん&週末はオリックス親父( ̄∀ ̄)のブログ
 サンケイスポーツ(東京版)の大型企画「ザ・ミュージアム」で西武・外崎修汰内野手(25)の思い出の地、青森・弘前市を巡った。この人との出会いが今日の外崎を作り上げたのだな、と感じたのがスポーツ用品店「Zeo-m」(ゼオーム)を営む恩師、木村裕之さん(52)だ。
 外崎が中学に入学した2005年に結成された硬式野球「弘前シニア」でコーチを務めた木村さんは「けがをさせないのが第一」という指導方針のもと、流行していた筋力トレーニングではなく、股割りなどのストレッチで徹底的に股関節を鍛えさせた。
 当時の外崎は「目を離すとバク転、バク宙をするサルみたいな奴」。小柄だが「ほかの子とはちょっと違うな」と身体能力に将来性を感じ、「黙っていてもショートは人並み以上にできる。逆からプレーを見せてみよう」と、中2の秋に遊撃から捕手に転向させた。
 中3の最後の夏の大会は「勝っていたけど、ぼくのパスボールから逆転されて、そこからダダーッと点を取られて負けてしまった」。外崎にとっては苦い思い出も残ったが「走者の動きとか、いろいろ考えるようになった」と“野球脳”が鍛えられたという。捕手として県内屈指の強豪校、青森山田高からも声がかかった。
 しかし、外崎は木村さんの母校で地元の県立・弘前実高に進学。この選択がプロへの道を切り開く。木村さんは「有名私立では埋もれていたかも。打倒私立で甲子園を目指すというのが性格に合っていた」と分析する。
 外崎は高校卒業後、富士大を経て2015年ドラフト3位で西武に入団した。今季でプロ4年目だが、木村さんはまだ教え子の試合を見たことがない。「プレッシャーを与えたくないので。自分のプレーを見てくれ、という選手になってほしい」とさらなる成長を願う。
 昨秋は侍ジャパンにも選ばれ、11月の「アジアチャンピオンシップ」では初代MVPに輝いた。「代走でもいいから五輪選手になってほしい。見に行くのはそのときかな…」。外崎が27歳で迎える東京五輪。スタンドから声援を送るのが木村さんの夢だ。(花里雄太)