捕手歴5カ月で横浜入団 練習はルーキー1人に対してコーチ3人だった新人時代 | 浜のおじさん&週末はオリックス親父( ̄∀ ̄)のブログ
 いよいよ、2月1日にプロ野球の春季キャンプがスタートします。今回は私が新人時代に経験した練習の一部をお伝えします。プロ野球の世界に入ったのが1995年。その前年、千葉・東京学館高2年の3月に捕手に転向し、5カ月ほどでドラフト5位で横浜(現DeNA)に指名されました。
 高校時代は捕手の動きも見よう見まねでやったら、想像以上にプレーできてしまった。当時の私は相当の自信家で、「プロに入っても何とかなるだろう」ぐらいの感覚でいました。ところが、その自信はキャンプ初日に砕かれることになったのです。
 横浜の2軍は静岡・草薙球場で春季キャンプを行っていました。プロの先輩が行う最初のキャッチボールやティー打撃を見ただけで「何だ、ここは」と驚くぐらいにレベルの差を痛感。目が肥えると言いますが、それまでは高校レベルの野球しか見たことがなかったため、初日の練習を終えて「これはすごいところに来てしまったぞ」と思ったのを覚えています。
 チーム方針で新人は本隊を離れ、育成担当のコーチと個別で練習していました。コーチは育成チーフコーチの辻恭彦さん、育成バッテリーコーチ補佐の小山昭晴さん、育成コーチ補佐の銚子利夫さんの3人です。同期入団は6人いましたが、時がたつとチーム本隊へ合流。1人抜け、2人抜け。最後には私一人が残されることに。結局、一人に対してコーチ3人という状況は、7月ぐらいまで続きました。
 それには、理由がありました。当時の捕手は9人。2軍だけで6、7人は捕手がいる状況でした。当然、本隊に合流しても試合には出られません。1対3の練習は続き、2軍が遠征の時には、私一人だけが横須賀の練習場にいることもありました。1年目の秋口には扁桃腺が腫れて、2週間入退院を繰り返したことも。辻さんには「お前なんかプロで活躍できないから、今すぐ辞めて帰れ」と厳しい口調で言われたこともありました。
 1対3の練習では、捕手としての「いろは」を叩き込まれました。「ベースに土があったら土をどかせ」「(ブルペンでも)ボールを返すときは立って返せ」
「膝をついて構えるな」「投手のグラブ側に常に返球しろ」。小学生が教わるようなことから始まり、捕手としての作法を一から学びました。
 辻さんからは「間接視野」についても教わりました。目がピントを合わせている周辺に見える視野を「間接視野」といいます。辻さんは「心眼」という言葉を使っていましたが、至近距離でノックする打球を目で追わずに捕球する練習を繰り返しました。捕手はプレー中はどこに誰がいるかも把握していないといけません。「間接視野」という考え方がキャッチングにも、バッティングにも生きたと思います。
 捕手歴5カ月でプロの世界に飛び込んだ私は、何の色もついていませんでした。まさに真っ白な状態。ルーキーイヤーは3人のコーチによって捕手としての色をつけていってもらったわけです。(不定期掲載)
相川 亮二(あいかわ・りょうじ)1976(昭和51)年7月11日生まれ、41歳。千葉県出身。東京学館高から95年ドラフト5位で横浜(現DeNA)入団。2008年オフにFAでメジャー移籍を目指したが、交渉が難航しヤクルトへ移籍。09-11年には正捕手を務めた。14年オフにFAで巨人へ移籍。04年アテネ五輪、06、13年WBC日本代表。17年に現役引退。通算1135試合に出場し、打率・260、69本塁打、475打点。1メートル83、86キロ。右投げ右打ち。独身。現在はサンケイスポーツ専属評論家として活動中。