S side


『お兄ちゃん、どうしたの?』

『・・・ん?いや、・・・何でもない。』


マンション退去を明日に控え、母親と妹が最後の北海道見物を兼ねて、昨日から部屋の片付けに来てくれていた。

ろくに手伝いもしない癖に、やれ喉が乾いた、甘い物が食べたいとうるさい妹を連れて、近くのコンビニにでも行こうとマンションを出る。
暫く歩くと、何となく後ろから誰かの視線を感じて
振り返ってみたけど、誰も居なくて。

潤が居たらいいのに・・・
そんな願望からの思い過ごしだろうか。


あの日、最後の悪足掻きだって
潤に気持ちを伝えてきたけど、
あの時から、きっと潤は来ないんだって
何処かで諦めはついていた。

親思いの優しい潤
そんな潤を悩ませ、苦しませた俺が悪い。


本当は東京に戻るか
この街で就職しようか
凄く悩んだ。

だけど、俺も櫻井家の長男だ。
4年間もの間、北海道のこの地の大学に行かせて貰っていた両親への思いもあった。

父親からも大学に入る時に
『就職は必ずこっちに帰ってこい』
そう約束させられていた経緯もあった。


東京で働き出せば、潤とは遠距離になるけれど
努力さえすれば、続けられると思っていた。
潤が東京に住めないなら、その時は
俺の両親を説き伏せて、潤との事もきちんと話して
俺が北海道へ行くか、
それとも潤の家族も呼び寄せるか・・・
その為にも一旦、東京で就職しようと決めたんだ。
ただ、そこ迄の話、将来的な話は潤にはまだ出来なかった。潤が気を遣ってしまうと思ったから。

だけど
好きなんだから何とかなる。
そう思っていた。

いや、そう思いたかった。
潤と別れたくなんてなかったから。


『お兄ちゃんはどれにする?』

コンビニに着き、目を輝かせてスイーツを物色する妹と肩を並べて棚を見れば、甘いフレグランスの香りが鼻を擽る。

『うわっ、お前、生意気に香水つけてんの?』

『いいでしょ!もう私も大学生なんだからね!
それよりどう?甘くていい匂いでしょ?
この香水、人気あるやつなんだからー』

そう言って得意げに俺に近寄るけど

『こんなの・・・俺の好みじゃねぇよ』

『うわっ、ムカつく!』

ムカつくからアイスも買って貰お!
一番高いやつね!
そう言いながら妹はアイスの置いてある棚に移動した。


うん、全然好みじゃない。
甘ったるすぎて鼻につくんだよ。

俺の好みは、そんなんじゃねぇ。
もっと柔らかくて優しくて
控えめなのに甘くふんわり漂って

胸いっぱいに吸い込めば
ああ、俺の大好きな潤だって
落ち着く香りなんだ。

世界中どこ探したって売ってない
天然由来成分100%潤印の特級品の香りなんだよ。


『・・・潤』

潤を思い出しながら
小さく名前を呼んでいた。






いつか
あの匂いも思い出せなくなるのかな
大好きだった潤の甘い匂い。

少しずつ・・・少しずつ潤の事
潤との大切な思い出も忘れて行くのかな

そんな日が来るのが怖い。
こんなに好きな潤の事を
何一つ忘れたくなんてない。
俺から潤を奪わないでくれ。


だけど
潤を好きなこの気持ちだけは
ずっと忘れない自信がある。

どうにもならないくらい
潤が好きで

潤を初めて見た日からずっと変わらず
お前だけが俺の心を占め続けているんだから。