昨日は母の白髪染めをしました。コクリコクリと居眠りしてくれると、した甲斐があるなと思うのですが、
思いっきり頭が後ろに倒れたままになるので、前髪しか染められず・・・
思いっきり頭が後ろに倒れたままになるので、前髪しか染められず・・・
「お母さん!」と言うと、頭が真っ直ぐに戻る。でも、すぐに後ろに思いっきり倒れるので、
「お母さん!」と言うと、頭が真っ直ぐに戻る。そんな事を3回繰り返して、
「お母さん!」と言うと、
母「わかっちゃいるけどやめられない」
`;:゙;`(;゚;ж;゚; )ブッいきなり植木等~
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実家にいると、時間があっという間に過ぎていきます。
夕方からは、夕飯の支度、後片付け、お父さんのマッサージ、そして、母のマッサージ・・・
ゆっくりお風呂に入るのは、父母が寝静まった真夜中・・・
そんな毎日から逃げたくなる時があったんです。
実家にいると、私がマッサージするのが当たり前の様に母に言われ・・・
きつい言葉を言われたりすると逃げたくなったりしたのです。
実家にいると、私がマッサージするのが当たり前の様に母に言われ・・・
きつい言葉を言われたりすると逃げたくなったりしたのです。
介護をしている方のブログを見ると、どんなに親が好きでも、少し離れたいと書いてある事があります。
気持ちがわかります。
気持ちがわかります。
身体が動かないお父さんの苦悩。
介護をする母の苦悩。
そういう事すら考えられなくなる事ってあったのです・・・
私のかたくなな気持ちを変えたくて、伊勢神宮に行ったり・・・
知り合いの心療内科の先生に会ってみたり・・・
知り合いの心療内科の先生に会ってみたり・・・
心療内科の先生の言葉は胸に響きました。
「自分を解放してあげなさい」
「大爆発する前に、小爆発する」
「怒りのエネルギーは時間と共に収まっていく」
「人間いざとなったら本領発揮する」
「大爆発する前に、小爆発する」
「怒りのエネルギーは時間と共に収まっていく」
「人間いざとなったら本領発揮する」
これは、誰にも言える事ですよね。
本当に時間が解決すると思いました。
本当に時間が解決すると思いました。
前は、母にきつく言われたら、言い返さず、貝になってしまう私でしたが、
今は言い返す様にしています。
今は言い返す様にしています。
昨日のテーマ『人生やり直したいと思う瞬間』
私は宝塚に入りたい、東大に入りたい、留学したかった、英語を勉強したかったなどまだまだありますが、
多くのご意見を聞き、心が洗われるようでした。
多くのご意見を聞き、心が洗われるようでした。
「今の子どもたちと出会えたから、やり直したいと思わない」
「今の女房と出会えたから、今で良かった」
素晴らしいですね!感動しました・・・
そして・・・
「2年前の3月10日に戻って欲しい」
そうですよね・・・・・・・・
そして、ブログのお友達で、耳が聞こえない方がいらっしゃいます。その方の言葉。
「また今の自分に生まれたい」
・・・胸に突き刺さりました・・・
その方が、母の日に書かれた一部です・・・
その方が、母の日に書かれた一部です・・・
私は、耳が聞こえない障がい者として、この世に生まれました。
残念ながら、一生、耳が聞えません。
残念ながら、一生、耳が聞えません。
当時の医師から、絶望と診断されたとき、
母は、どんな思いだったことでしょう…。
母は、どんな思いだったことでしょう…。
どうして…。なんで…。この子が、耳が聞えないことに、
一生、障がいを、背負ってゆくなんて…あんまりです…。
こんな思いで、くる日もくる日も、どうにもならない、胸の内をかきむきながら、
何十万回…、泣いた母だったことでしょう…。
そんな私を、普通の女の子として、育ててくれました。
誕生…、幼児期…、成長期…と、いつもと変わりなく見守ってくれた母…。
やがて、社会人となり、待っていたのは、聴覚障がい者のコミニュケーションによる挫折の壁でした。
挫折の壁にぶつかったとき、障がい者だからって、甘えることは許されない、厳しい母でした…。
そんなとき、いつも励ましてくれた母でした。
幾度も幾度も、壁にぶつかっては、励ましてくれた母。
母の一言で、心に沁みった母の言葉…。
母が元気なうちに、育ててくれた恩返しに、両親と共に、食事したり舞台に観に行ったり、
お財布、洋服を贈り物して喜んでくれて、本当に良かった。と、そう思っています。
母が逝ってから、もう、11年…。
天国で、お父さんと、仲良くしていますか。お父さんと、どんな会話をしていますか。
一生、障がいを、背負ってゆくなんて…あんまりです…。
こんな思いで、くる日もくる日も、どうにもならない、胸の内をかきむきながら、
何十万回…、泣いた母だったことでしょう…。
そんな私を、普通の女の子として、育ててくれました。
誕生…、幼児期…、成長期…と、いつもと変わりなく見守ってくれた母…。
やがて、社会人となり、待っていたのは、聴覚障がい者のコミニュケーションによる挫折の壁でした。
挫折の壁にぶつかったとき、障がい者だからって、甘えることは許されない、厳しい母でした…。
そんなとき、いつも励ましてくれた母でした。
幾度も幾度も、壁にぶつかっては、励ましてくれた母。
母の一言で、心に沁みった母の言葉…。
母が元気なうちに、育ててくれた恩返しに、両親と共に、食事したり舞台に観に行ったり、
お財布、洋服を贈り物して喜んでくれて、本当に良かった。と、そう思っています。
母が逝ってから、もう、11年…。
天国で、お父さんと、仲良くしていますか。お父さんと、どんな会話をしていますか。
母とは、たくさん話すことが出来なくなったけれど、母の姿はないけれど、
私の心の中では、母は生きています。
思い出すのは、幼児期だった頃の母の姿…。
今日の母の日に、心からどんな子供であっても、お母さんの娘で良かった…。
私の心の中では、母は生きています。
思い出すのは、幼児期だった頃の母の姿…。
今日の母の日に、心からどんな子供であっても、お母さんの娘で良かった…。
耳が聞えなくて良かった。すべてありがとう…。ありがとう…。おかあさん。
この気持ちを忘れず、これから生きていこうと思いました・・・
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