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2日間行方不明ですいま━─━_| ̄|○))━─━糸泉 慌ただしい日々を送っていました~・・・
私はここ、日比谷公園にいました~紅葉はこうよ~~~~~ニコニコ

 
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日比谷公園の中にある日比谷公会堂 歴史ある建物です。

 
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J:COM presents 星野哲郎メモリアル 水前寺清子コンサート 千里の道も一歩から12月13日公演開催
これは、リハーサル風景です。

 
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第一部は水前寺清子さんの歌と辰巳琢郎さんの詩の朗読で星野哲郎氏の足跡をたどり、モト冬樹さんも登場。
辰巳琢郎さんは、名古屋御園座で、舞台「恋文」の星野哲郎役を演じていました。

 
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モト冬樹さんは「男はつらいよ」「自動車ショー歌」を歌いました♪
水前寺清子さんから「みだれ髪の人」と紹介され爆笑をとっていました。みだれる髪ないのにって“o(><)o”

 
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【星野哲郎先生】
山口県周防大島出身。海のエリートを目指し、海の最高学府、現・東京商船大学に進む。
漁業会社へ就職。膵臓結核の大病でやむなく船を降りる。地元で学習塾を先生となる。
ある日、学習塾の生徒から、雑誌の作詞募集に応募してみないかと言われ入選!書く事で収入を得る。
よし!賞金稼ぎになろう!追い詰められた弱虫が一気に才能を開花してゆく!
4年目に横浜開港百年祭記念募集で1位2位を独占!
天才歌手・美空ひばりの歌を書くという最高名誉を、山口県周防大島のアマチュア作詞家がやってのけた!
2010年11月15日(満85歳没)

スリーキャッツ「黄色いサクランボ」、北島三郎「兄弟仁義」「函館の女」、美空ひばり「みだれ髪」
水前寺清子「涙を抱いた渡り鳥」「いっぽんどっこの唄」「三百六十五歩のマーチ」、
都はるみ「アンコ椿は恋の花」
島倉千代子、畠山みどり、村田英雄、鳥羽一郎、森進一、大月みやこ、島津亜矢、小林幸子・・・etc 

 
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【水前寺清子】
コロンビアレコード歌謡コンクールが、日比谷公会堂で行われ、水前寺清子15歳で星野哲郎氏と出会う。
熊本から一家で上京し、東京代表のタスキで出場。1位は専属歌手。2位は準専属。水前寺清子は2位だった。
水前寺清子の父が「もう11曲もレコーディングしてるのにデビューできんのですか!可哀想じゃなかですか!」
と、星野哲郎の家に来て、星野哲郎は、お父さんが帰るまで時間をつぶして家に帰る事も多々あった。
日本クラウンに星野哲郎が移り、水前寺清子を呼び寄せ看板歌手に!水前寺清子19歳の秋だった。
小さい民子から「チータ」と星野哲郎が名付ける。

 
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第2幕。水前寺清子オンステージ♪幕が上がる瞬間。これはステキな写真が撮れたと言って頂きましたキラキラ

 
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着物の柄はチータキラキラチータさんのステージは元気がいっぱい頂けます!

 
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デビュー曲「涙を抱いた渡り鳥」の着物。渡り鳥が描かれていますキラキラ

 
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影アナ(舞台の影でアナウンスする事)の様子キラキラ

2幕では、チータさんのファンの方々の「キャー!」「チータ!チータ!チータ!」の歓声が凄かったです!
チータさんは宝塚の男役みたいでした!着流しがとてもステキでした!そして泣かせました・・・
長年、第一線のスターでやっていらっしゃるオーラは素晴らしかったです

「幸せな時に応援歌はいらない」と星野哲郎先生がおっしゃいました。
被災地へ届きます様にと歌われた「いつでも君は」は客席の涙を誘いました・・・

こころとこころのほそみちに
あなたの小さな親切が
ぽとんと落ちてきらりと燃える
ろうそくの火が燃えてひろがる
一本が十本に十本が百本に
百本が千本にふえてゆく

休んでる間にビックリした事!倖田來未さん結婚!え!(゚ロ゚ノ)ノ

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