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きょうは命日です。1周忌です。
2009年11月14日午前7時、肺がんの為、元宝塚花組トップスター・大浦みずきさんが、天に召されました。
まだ53歳でした。お父上は童謡「さっちゃん」の作詞家、芥川賞作家の阪田寛夫さん。

宝塚屈指のダンサーだった大浦みずきさん。宝塚のフレッド・アステアと呼ばれていました。
私も生まれ変わったら、ダンサーになりたいと憧れました。

初めて、宝塚で大浦みずきさんを見て、そこから宝塚の世界にハマっていったのですが、動機は不純でした。
大阪と東京で遠距離恋愛をしていた私は、彼の「宝塚の大浦みずきってめっちゃかっこええねん!」
この一言に嫉妬し、大浦みずきなるものを見てやる~!と宝塚バウホール「オクラホマ」を見に行きました。
すると、見事、ミイラとりがミイラになり、私は大浦みずきさんに夢中に。彼氏とは別れました・・・


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2009年12月2日(水)大浦みずきさんのお別れ会が開かれ、3000人もの方が別れを惜しんだのです。
午後2時から始まった会及び、献花の列は午後5時になっても続いていました。
多くの親族、宝塚関係者、業界、全国のファンの方々が涙、涙、涙、、、、、。

大浦みずきさんの懐かしい宝塚時代の歌が流れ、涙を誘いました。
祭壇は、真っ赤な薔薇で埋め尽くされ、宝塚の美術さんの手によって、宝塚のステージの様に飾られ、
白いドレスを着て、微笑む大浦みずきさんの写真が・・・

・宝塚植田理事長
「先に逝く順番が違う!」

・幼馴染の作家・阿川佐和子さん
「団地の仲間でした。私の前ではスターの顔を見せませんでした」

・宝塚時代同期生で元月組トップスター・剣幸さん
「38年間、見たことのない顔がある。あなたが怒った顔です。悔しいです!でもすぐに会えるから」

そして、喪主のお姉様のご挨拶が多くの涙を誘いました。。。
「小さい頃は喧嘩ばかりしていました」
「やっと話ができると思ったら宝塚へ。妹を宝塚に盗られた気持ちでした」
「妹を奪った病が悔しい。でもひとつだけ、この闘病生活の1年、初めて妹と向き合って沢山話ができました」
「治療のやり方を巡って大喧嘩もしました」
「主治医の先生には化学療法以外にも、民間療法も受けさせて頂いた」
「痛みと戦いながらも、いつもくだらない冗談を言って笑わせる憎めない妹でした」
「宝塚のOGさん達が心を込めて折ってくれた、何千もの千羽鶴に感動していました」
「病気は良くなりつつありましたが、食欲がなくなり、抵抗力が落ちていきました」
「それでも、召される前日は、おかゆなら食べられるかもと、頑張って食べておりました」
「その日、面会後、帰宅途中に、意識がなくなったと連絡を受けました」
「病院へ戻ると、もう私の問いかけには応えてはくれませんでした」
「11月14日朝7時に息を引き取りました」
「それまで、背中が痛いと、仰向けに寝られなかったのですが、やっとゆっくり仰向けで寝られました」
「妹を連れて帰る時、お願いをして、東京宝塚劇場、帝国劇場を回って頂きました。
丁度、宝塚花組公演、レ・ミゼラブルを上演中でした」

宝塚の卒業生、元花組トップスター・高汐巴さん、安寿ミラさん、真矢みきさんを筆頭に、
大浦みずきさんの好きだった「テンダーグリーン」より「心の翼」を合唱。

その後、献花が始まり、元宝塚の生徒も、現役のタカラジェンヌも、皆が泣いた・・・
私は献花を終えても、大浦さんの歌が流れる会場で2時間あまり立ち尽くし、その場を離れられませんでした・・・


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私は、大浦みずきさんをもっと世間に教えたいと思い、企画書を書き、
TBSニュースの森で2度も密着取材をしました。

その時に関わった宝塚の方から声をかけて頂き、その後、宝塚のトークショーやイベントの司会者に。
好きこそもののじょうずなれ。夢中になった事がどんどん自分の明日に繋がっていきました。
人の情熱という物はこんなにパワーを生み出すとは。
今、振り返ってみると、すべてが大浦さんとの出会いから始まっていました。感謝でいっぱいです。

人間、やってやれない事はない。
失恋も失敗も よく輝く為にある。
身に起こる事すべてに意味がある。
頑張りは幸せの鍵。


 
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実家で、お父さんが「電化製品の名前をいくつ言えるか?」と。
私は「何で?」「いくつ言ったら何かもらえるの?」と。
そうではない。リハビリ病院の訓練で、お父さんは他の人よりいっぱい言えて嬉しかったそうで・・・
私はそうとは知らず、スイスイとお父さんが言った数より多く答えてしまいました。自慢げに。
「野菜は?」と聞かれ、またスイスイと答える私。お父さんは「凄いな~負けたな~」って。
お父さんは、純粋にいくつ言えるかと言ったのに、何かもらえるのかと聞いた自分が恥ずかしかったです。

病気なのに、お父さんはいつも笑っています。元気な時はいつもしかめっ面ばかりだったのに。
穏やかな、優しい顔をしています。それも、母の明るさだと思います。

普段、二人の会話は、吉本の宮川大介さん、花子さんみたいで・・・
このブログを見た、お父さんの親戚の方が「大事にしてくれて涙が出ちゃったよ」と言われたそうな。

母は、パート先のイジメを克服。制服を隠されたり、階段に捨てられたり、散々な目に遭ってきました。
辞めようと、会社に現状を話したところ、改善されたそうです。
イジメの中心だったお局様が、もっとエライお局様のいる所に異動になり、今は下働きをしているんだそうな。
人間、開き直ったら強いですね。母は今では、沢山のお友達ができ、楽しいパートライフを送っています。


 
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そして今、私は佐賀県武雄市にいます。昨日は、マッサージランドゆとりの、石橋妙子先生に再会しました。
妙子先生のマッサージは素晴らしいので、1時間黙って受けていれば、身体にとってもいいと思うのですが、
喋る喋る・・・1時間があっという間!「これ、30分コースじゃなかね?」と言いました。笑

妙子先生と出会って、武雄温泉が好きになり、何度か訪れ、武雄市観光大使に任命して頂きました。
本日「武雄がばい物産まつり」に於きまして、武雄市観光大使任命式が行われます。

「有難い」「嬉しい」「頑張って下さい」「武雄をもっと世の中に広めて下さい」と応援して下さる声もあれば、
「地元出身でもないのになんで?誰?」との声もあります・・・
でも、頂いたご縁、出来るところまで頑張りたいと思います。

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