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<防災、地震の大切なお話>

■地震予知できるほどまだ技術は進んでいない。

■地震は土日に多い。

■断層のない場所でも地震は起きる。

■災害時に行動する順番を決めておく。

■机の下にもぐるヒマがあったら逃げる。

■点でバラバラに逃げる。自分の命は自分で守る。

■初期微動、震度1~2が40秒続く。小さな揺れと同時に防災訓練のつもりで逃げる。

■近隣77%が、消防、警察よりも人を助けている。近所付き合い大事(阪神淡路大震災)

■救命胴衣、酸素マスクは子供よりも大人からつける。

■優先順位を間違えたら人は守れない。

■大人が倒れたら子供を助けられない。

■「火事だーーーー!!!」と一番に言う事。それで全てがわかる。

■1人の100歩より、100人の1歩。

■いざという時の為に。命とどちらが大事かを考えれば、家の中には捨てる物が多くある。

■女性は髪に火がつきやすい。

■首筋に物が落ちてきやすい。

■毛布より段ボールを敷いた方が冷えにくい。

■近所2キロを歩いて調べておく。

■地域の違うちょっと離れた”お仲間防災協定”を作っておく。いざという時、支援物資を届けてもらう。

■水洗トイレは使えなくなる。管がやられる。

■病院に近づけなくなる事も。病院も被害を被る場合もある。

■防災関連事業に「コクヨ」が進出。8月~折りたたみヘルメット(防災帽)

■出火は電気、ガスが6割。

■避難場所が燃える場合もあり。第3の避難場所を作っておく。

■安全は準備に比例する。

■皆が逃げると大火になる。誰が火を消すのか。

■地下鉄で地震に遭ったら。。。

★地下が潰れる率は3/1。が、火災や水浸しも起きる。地下にいるというパニックに陥りやすい。

パニックに巻き込まれない。入ってきた所から出ようとする。慌てない。誘導灯を見る。

風上に逃げる。指を濡らして冷たい方。



■飲料水=一人24リットル用意。飲料水専用のポリ容器。ガソリン用は絶対ダメ。口の大きい物。

手が入り洗いやすい物。 水はゆっくり入れ、空気が入らない様にする。暗所に置く。日付けを書く。

使う時に煮沸してもよい。


■非常食=一人24個用意。実際の災害で人々が欲した、水もどし餅。パンの缶詰。総合ビタミン剤。

カロリーメイト。3年保存ラーメン。など・・・



知らせる(通報)→消す(消化)→助ける(救出)→逃げる(非難)



<戦う防災・実際にあった感動のお話>

■大正12年9月1日。関東大震災。

東京、神田佐久間町は材木の町。よく火の手が上がった事から、かねてより”悪魔町” と呼ばれた。

我々は二度と火を出してはいけない。町のリーダーが「逃げるな!!!」と言った。

火と戦い続けた。四方を包む様に火の手が襲ってくる。火の粉を浴びながらそれでも戦い続けた。

そして、避難所の神田佐久間町小学校に火がついた。もうダメだ・・・


その時、奇跡が起きる!

僕達の学校が燃えている!と小学生、小学校の卒業生達が、神田川を塞き止め、列を作り、

バケツリレーを始めた。子供達が火の粉を浴びながら、一生懸命に頑張る姿が、大人を動かした。

200数十人の大人達が子供達に混じって、必死のバケツリレーが始まった。

皆が、神田佐久間町小学校を守った。


午前2時沈下・・・

大正12年9月3日の朝、1600戸の神田佐久間町と和泉町に光が差していた。

二つの町だけが、焼けずに残ったのだ。


町の人達が一致協力して町を守った。



逃げたり、諦めず、戦う防災も大事



<大川常吉鶴見警察署長>


【大川常吉さん】

■大正十二年の関東大震災の直後、「朝鮮人が井戸に毒をいれた」というデマが広がり、あちこちで朝鮮

人に対する襲撃虐殺事件が起こったことはよく知られている。

川崎から横浜にかけては朝鮮人が多く住んでいたので、その舞台となった。

大川常吉さんはそのときの鶴見警察署長であった。


鶴見警察署にはこのとき警察に保護を求めてきた朝鮮人が三百名ほどいたという。

このことを知った民衆は「朝鮮人を出せ」と叫びながら警察署を取り囲んだ。その数は千人ほどという。

そのうちに「朝鮮人に味方する警察などたたきつぶせ」と次第に暴徒化の気配を漂わせ始めた。

もはやこれまでと覚悟を決めた大川署長は群衆の前に立ち、「よし、君らがそれまでこの大川を信頼せ

ず、いうことを聞かないなら、もはや是非もない、朝鮮人を殺す前に先ずこの大川を殺せ」と叫んだ。

身命をかけたこの大川署長の態度に猛り狂っていた群衆も威圧されてようやくなりを潜めた。


群衆を前にして彼はこうも言ったという。

「朝鮮人が毒を投入したという井戸水をもってこい。私が先に諸君の前で飲むから、もしも異常があれば

朝鮮人を諸君に引き渡す。異常がなければ私に預けよ」




戦後助けられた朝鮮人たちが大川さんの墓の前に感謝の碑を潮田三丁目の東漸寺に建てた。
 


 <故大川常吉氏の碑>

関東大震災当時、流言飛語により激昂した一部暴民が鶴見にすむ朝鮮人を虐殺しようとする危機に際し、

当時鶴見警察署長故大川常吉氏は、死を賭してその非を強く戒め、三〇〇余名の生命を救護したことは誠

に美徳である故、私たちはここに故人の冥福を祈り、その徳を永久に讃揚する。

       一九五三年三月二一日 

           在日朝鮮統一民主戦線鶴見委員会



これは、防災・危機管理の第一人者、山村武彦さんのお話です。
科学技術庁長官賞を受賞し、現在、NHKをはじめ様々なメディアにご出演。
7/1(日)19時~東京MXTVにて2時間の放送で「防災について」東京都議会に提案をなさる。
「さんまのからくりテレビの裏なので見て頂けないかも.......」本人談。
家では奥様に「あなたは防災じゃなくて、忘妻じゃないのーー?」と言われるらしいがー・・・











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