映画『太陽の子(てだのふあ)』舞台挨拶に、桂文枝師匠、俳優の石橋正次さんがご登壇なさいました。
 
♪夜明けの停車場に降る雨は冷たい・・・の石橋正次さんは、青春スターのイメージからロマンスグレーに変身。
 
ヒット曲『夜明けの停車場』のさわりを歌って下さいました♪
 
桂文枝「歌聞いたらやっと石橋正次さんやってわかった」(笑)
 
石橋正次さんは現在、70歳。石橋正次さんの『鉄橋をわたると涙がはじまる』も好きでした。
 
♪鉄橋を渡ると君の家が見える・・・君を捨てて、僕を捨てて、故郷を捨てる・・・
 
『夜明けの停車場』も、♪君には罪はない、罪はないんだよ・・・
 
って、女性を置き去りにしてゆく歌が多かったですが、お子さんが6人いらっしゃいます!
 
『子育て6人奮闘記』(日刊スポーツ)などの著書があり、家庭菜園もされていて、家庭問題のシンポジウムなどにもご出演なさっています。
 
石橋正次さんはドラマも凄いです。紅い稲妻、おれは男だ!、飛び出せ!青春、太陽にほえろ! 、水戸黄門、鬼平犯科帳、、、
 
映画『太陽の子(てだのふあ)』
 
主演の若い男女はオーディションで選ばれたのですが、
 
石橋正次「彼らが素人だったからこそ、沖縄の香りがする素朴な雰囲気が出せたんだと思います。名俳優では演じ切れないもので、彼ら以外に考えられないですね。沖縄の人も出演していて、素朴で、劇映画というよりもドキュメンタリーを撮っているようでした」
 
と、超売れっ子で大忙しだったのに、オーディションで選ばれた、芝居が初めてのお二人の事も称えるって、石橋正次さんってなんて良い方なのでしょう。
 
石橋正次「「リアルを追及するため、画面に映っていなくても、ぼくたちは雰囲気としてそこの場にいないといけない。衣装を着て準備をしていましたが、ワンカットも映らないときもありました」
 
40年以上も前に撮影された作品ですが、当時の様子をすらすらと語る石橋さんに対し、
 
桂文枝「よくもこれだけ覚えてられていますね!? 大変な現場だったんですか」
 
石橋正次「大変だったというより、思い出に残った作品です」
 
お話を伺っていて、本当にいい方だな~と感慨深かったです。
 
30分のトークショーの流れが決まっていて、司会の私からお聞きするポイントなど色々とあったのですが、そこは、桂文枝師匠。
 
司会進行は桂文枝師匠になっていました照れ
 
それはそうです。世界的な司会者でいらっしゃいます。
 
2015年『新婚さんいらっしゃい!』で「同一司会者によるトーク番組の最長放送」としてギネス世界記録
 
に認定されたのですからキラキラ
 
私は10代の頃からずーっと『新婚さんいらっしゃい!』のアシスタントになりたいと思っていたので、同じステージでトークショーをさせて頂けて有難かったです。

映画『太陽の子(てだのふあ)』とは。。。「てだのふあ」という読み方は沖縄方言。
 
出演)河原崎長一郎、大空真弓、浜村純、石橋正次、大滝秀治、大竹しのぶ など
 
灰谷健次郎の長編小説(児童文学)
 
太平洋戦争の終戦から30年後の神戸市を舞台に、沖縄県出身者を両親に持つ少女が、父の精神疾患をきっかけに、沖縄戦や沖縄県出身者の置かれた立場と心情に触れていく様子が描かれています。
 
当時、本土では、沖縄県出身とわかると差別に遭った方もいらっしゃったのです。
 
この映画を見て、沖縄に来る時は、綺麗な海が見られる、美味しい物が食べられるという気持ちだけではなく、厳粛な気持ちを忘れてはならないと思いました。
 
東京でこの映画を見てから沖縄に向かったので、沖縄の海が見えた時、胸が苦しくなりました。
 
桂文枝師匠は神戸に住んでいた時、学校に沖縄県出身の子どもが何人かいたけれど、いじめられてはいなかったとおっしゃいました。
 
映画『太陽の子(てだのふあ)』は、1980年に浦山桐郎監督で映画化。
 
1980年度キネマ旬報ベスト・テン日本映画部門第10位。
 
テレビドラマとしては、1979年にMBSテレビで単発ドラマ、1982年にNHK総合テレビ『ドラマ人間模様』枠で放映のほか、舞台劇として前進座などで上演。
 
映画『太陽の子(てだのふあ)』
 
<あらすじ> ※ネタバレあり
 
小学6年生の少女・ふうちゃんは、神戸の沖縄料理店「てだのふあ・おきなわ亭」の一人娘。両親は沖縄出身で、店には母の遠戚に当たるオジやん、鋳物工場で働く青年のギッチョンチョン(石橋正次)とその先輩の昭吉くん、左腕のない溶接工のろくさん、父の親友のゴロちゃんといったやはり沖縄出身の人々、そして神戸生まれで艀乗りのギンちゃんといった常連が集まっていた。
 
神戸で生まれ育ったふうちゃんは、自分のふるさとが神戸と沖縄のどちらなのだろうかという思いを抱いていた。
 
ふうちゃんの父(河原崎長一郎)はこの半年の間に精神を病んで家族ともほとんど会話しなくなった。父は発作を起こすと「ふうちゃんが殺されるやろが」とつぶやいたり、ふうちゃんを抱きしめて泣いたりした。
 
ふうちゃんを気にした担任の梶山先生は、沖縄の草花遊びの載った雑誌を贈る。ふうちゃんは草花遊びを店に飾って父を喜ばせようと考える。
 
ギッチョンチョンは沖縄出身のキヨシという少年を店に連れてくる。キヨシに沖縄の言葉を教えようとしたギッチョンチョンは、言葉の問題で自殺した沖縄出身者を軽蔑したギンちゃんを殴った。店で喧嘩した罰としてふうちゃんは二人に草花遊びづくりを手伝わせた。
 
草花遊びで店を飾ると常連客は歓迎したが、ろくさんは店の外でアダンの葉で作った風車を握って泣いていた。ふうちゃんは母からろくさんが戦争で子どもを亡くしたと聞く。だが、それ以上の戦争の話は「悲しいことは一日も早く忘れてしまいたいやろ」と教えてもらえない。
 
ふうちゃんはギッチョンチョンに頼んで沖縄戦の写真の載った本を見せてもらう。しかし集団自決の写真を見て嘔吐してしまう。
 
ふうちゃんの父が一人で外出して不審な行動をしているという話があり、その現場である明石市の海岸に行ったふうちゃんの母やゴロちゃんは、その場所が父が少年時代に戦火にあった沖縄本島南部の海岸に似ていることに気づく。
 
父の発症の原因が戦争と関係しているとわかったことに周囲の人々はショックを受ける。
 
キヨシはかつての不良仲間から、グループを抜けた制裁として殴打を受ける。キヨシは抵抗せずに耐えていたが、沖縄を侮辱する言葉を聞いて相手を傷つける。重傷を負ったキヨシは入院して二度にわたる手術を受けた。
 
キヨシが回復に向かうと警察が事情聴取に病院に来る。過去の前科があり、今度も相手に傷を負わせているという理由だった。
 
居合わせたろくさんは「警察は公平な立場」「沖縄も関係なく法の前には平等」という警官に、根元しかない左手を見せ、日本兵の命令で幼いわが子をこの手で殺し集団自決に参加したことを告げて、これでも平等と言えるのかと尋ねると警官は沈黙した。
 
その夜、ふうちゃんの母(大空真弓)は、父が幼少期に辛い目に遭ってきたことをふうちゃんに話す。
 
ふうちゃんの卒業とキヨシの退院に合わせ、ふうちゃんの母は一家とキヨシで父の故郷である波照間島に行くことを決める。
 
だが、出発前夜、父は・・・・・
 
映画『太陽の子(てだのふあ)』舞台挨拶に、俳優・石橋正次さん、桂文枝師匠
 
左腕のない溶接工のろくさん、素人さんだそうです。ろくさんの「警察は公平な立場」「沖縄も関係なく法の前には平等」の言葉に泣けました・・・
 
映画『太陽の子(てだのふあ)』見て欲しい映画です。映画っていいですね♪
 
 
第11回沖縄国際映画祭、約30万人のお客様にお越し頂きましたキラキラ
 
吉本興業・大﨑会長「社長になった年に映画祭を始めて、あれから10年が経ちました。映画祭の実行委員長は死ぬ前日までやります」
 
岡本昭彦社長「映画祭がなくならないように、会長には長生きしてもらいたいと思います」
 
次の開催は、2020年4月16日~19日に決定キラキラ
 
島ぜんぶでおーきな祭 -第11回沖縄国際映画祭-
https://oimf.jp

『吉本ブカツ!』
趣味や特技を生かした部活活動が始まりました!料理ブ!、盛り上げブ!、英会話ブ!、手話ブ!、司会ブ!などなど、、、イベントなどに出張しています♪
 
<吉本ブカツ!>
https://profile.yoshimoto.co.jp/bukatsu/
 
吉本興業カンパニー
http://www.yoshimoto.co.jp/