自分のやりたいことがある程度決まってきたのは、くしくも自分の幼少時からの経験にあると思う。




全部を吐き出したくなって 
子供の頃からの、あまり気持ちがよくないことも書きます。

  



私の小学校時代の家庭環境は振り返るとあまりいいものじゃなかった。

支配型父とそれに従うしかない母の姿があった。

自営業の父は、収入が安定せず、一人篭って仕事をする人だった。皿一枚洗わず、自分のご飯も持ってこない人だ。私たちを思い、時短パートで働く母を子供の前でも罵倒し、時にご飯を放り投げたりもした。


そんな父は子供に対しても支配する人だった。子供ながらに私は父の存在が恐ろしく、歯向かうことなんて出来なかった。

小学校の中学年頃から、特に勉強に干渉してきた。
学校がない土日は最悪だった。昼ご飯を食べた後、勉強タイムが5時間ほどあった。必ず正座で行われた。水を飲むのも、無駄な動きも恐ろしくて出来なかった。私は兄に比べ出来が良くなかったので、特に怒られ、延長させられた。



私はストレスが原因で偏頭痛になった。
時にそれを理由に仮病を使った。

仲がいい友達は「いつも勉強で遊べないよね」と言われた。

ドリルのチェックも抜きうちで行われた。もちろん、学校の宿題ではなく父が出したものだ。階段を上がるトントントンの音を未だに鮮明に覚えている。
私は怖くて、必死にやりきれてないところを写した。 


私は何度も何度も「他に本当の父親がいるんだ」って思いながら過ごした。
  

私の兄は中3の受験生になった。

出来の良い、大人しい性格の兄は期待をさらに受け、父の干渉も最高潮に及んだ。
中学校から帰ったら、東京まで往復4時間かけて塾、深夜に帰ってきてから2時3時まで父が横について勉強させられた。


睡眠時間はおよそ2,3時間だっただろう



ある日兄はストレスと疲労で学校で倒れた。


そんな姿を見ていた。

ああ、そこまでうちはきていたんだって  
心の底で少しばかり納得した。




私と兄は「自分で考える、決める」ということに麻痺していたんだろう。


子供の頃から将来の夢は特になく、その時にはやったこととか適当に言ってた。


中学年、高校まで何の疑問も抱かず、
親や先生、模試の結果など

誰かに決められたことを、まるで自分が決めたような気持ちでいた。

気づかないし、気づくきっかけもなかった。

大学進学時、唯一私が決めた「学部」は
小学校の頃から褒められて、自分の意見を自由に表現できた「国語」とか「書くこと」につながるもので選んだ。


他に確固たるものが経験としてあまりにも不足していた。

勉強がすっかり嫌いに&苦手になった私はあまりいい大学には行けなかったが、兄は東大の法学部に行った。

学部を選んだ理由を聞くと「文系で一番上だから」

やりたいことがあって入ったわけではないと。私と同じく、進路迷子だった。

就活でやはり苦戦した。やりたいことがないと。

ただ、一つ「4年法学勉強して、好きじゃなかったみたい」

私が初めて聞いた兄の学びに対する意見だった。

それを父は馬鹿にしたが、

彼が実際に自分で経験し、取り組んで得た「学び」なのだから
私はそれはとても大切なものであったのだろうと思うんだ。

私は大学でたまたまカタリバの活動にであった。

「やりたいことがない、分からない
自分に自信がない」


全部自分のことみたいに思えた。


しかし高校生と関わりながら、私より生き生きとしている子も多い中、そんな子達に追いつきたいという気持ちもあった。


はじめはカタリバの経験から「人の人生の大事な時を手助けできる人になりたい」という軸から


人生の大事な時=職を決めるとき



と思い、人材業界に絞って就活していたがなかなか決まらず。

大事な時=たくさんあるやん!

と気づき

様々な人のよりもっと近い「生活」を支える「居場所」がよいところなら

たくさんの人がハッピーになると思って不動産業界を見ていた際、縁あって全会社に勤めるとことになった。


会社の方々は非常に優しく、みんなが、営業が苦手だった私にも必ずフォローを入れてくれた。


そして2年目に業務をする中で、自分の中で引っかかることがあった。


高齢者や外国人、生活保護者に紹介できる物件はほとんどなく、受付で適当に返すことで効率をあげることに、少なからず違和感を感じた。

確かに、効率的だ。
すぐ、決めてくれる人を優先的に案内し、売り上げをつくるのだから。

接客時間が長ければいいってもんじゃない仕事だったから。

貸主とも関わっていたから、貸主の気持ちも分かるから、頭ごなしに非難はできないものの

これが社会なのかと思った。

仕事柄、その人の生活に立ち入る仕事だったから、その人の人柄、家族構成などを理解した上で部屋を紹介する中で


どうしてもお客さんに入れ込んでしまう。

その人の人としての良さはどうあれ、
約束を守れる、マナーが良い生活保護者と
約束を守れない、マナーが悪い高所得者なら必ず後者を優先する。

貸主側からしたら当たり前であり、会社上それを優先するのはビジネスだから当たり前だとは思う。


そんな中、一人の生活保護の男性の入居をどうにか、決めることができた。


とてもお客さん、お客さんのお兄さんに喜ばれた。

この出来事は私にとって少し嬉しかったこと。


私は、人が「どんな環境にいても、制限されず、自分の可能性や選択肢を広げられること」がしたいんだなって思った。


これはどこを矛先にするかで色々できる。

例えば、私にとって当時母が唯一の逃げ場だったから

「女性が育児や出産、経済的な理由などから制限され、生き生きと過ごせない人達の手助けとなりたい」なら女性支援となるし



「障害を持っている人が生きづらい世の中を変えていきたい」障害者、インクルーシブ関係


「生活保護者、低賃金者などを助けたい」ならそういった仕事となるのだろう。

その中で

自分の子供の頃からのことを振り返ってみると

「生き方はこうだよ」って決めつけられ「こうあるべき」と強いられてきたから

それを子供の頃からもっと自由に、様々な経験をして

失敗したり、やりたいことを一生懸命やってみたり、自分で考えたり、選択したり、行動することが
その人の人生がよりよくなることに繋がるんじゃないかなって思う。


苦手だった父に対して、私も大人になり、気づかなかったことに気づき、以前よりもより対等に入られている。

父も人とどう接していいか分からない、苦手な人だったということ。実はかなり小心者で、弱い犬ほどよく吠えるタイプだったことなど。



今、子供時代の反面教師として

私は、何よりも「経験すること」を大事にしている。

聞いたことある、知ったつもり

じゃなくて

実際にやってみること
そこで自分は何を思い、何を感じ、次の行動をするのか。

それによってすごろくみたいに戻ってもよいと思う。

フラフラしてると思われるかもしれないけれど、より近いところに近づきたいだけ。それを自分で確認して、感じたいだけ。


教育現場の、より近いところに行ってみようかと思い免許を取ろうと思ったのも
私が子供の頃の唯一の進路を選ぶ基準になったものだから。


もしかしたら、私がやりたいことが学校の先生じゃやりきれないかもしれない。


働くにつけて、やっぱり譲れない他の要素があるような気がしないでもなく



それを確認したい。



だから、まだ発展途上です。


何が好き?とか何が得意?とか聞かれるのも未だに苦手。


まずは、「私ってこんなことが好きで、こんなことが得意なんだよ」って言える人にならなきゃな。


人より要領は悪い方なので

 
気持ちと能力が追いつかないことに不安を覚えたり、自信がなくなったりするけれど

まずは感じ、考え、行動することを大事にこれからも少しずつ頑張っていけたらなと思います。