人生の選択には、いつも背景や理由があります。
進学や就職は自分のために決める人が多いと思いますが、私は「母を早く楽にさせたい」という一心で選んできました。
これは、そんな私の20年間の記録です。
私の父は、私が生後10か月のときに突然亡くなりました。
その後、母は一家を支えるためにずっと働き続けていました。
小さい頃の母は、自宅で制服縫製の内職をしていました。
私が大きくなると、肉体労働のパートへ出かけるようになりました。
「体がだるい」「脚が痛い」と言う母を、私はよくマッサージしてあげました。
それでも母は「手伝うくらいなら勉強しなさい」と言って、家事はほとんどさせませんでした。
そんな母の背中を見ていた私は、「一日も早く働いて母を楽にしたい」と思うようになりました。
当時は、女子にとって四年制大学よりも短大卒の方が就職に有利だと言われていました。
私は迷わず、公立の短大を志望しました。
「早く就職して母に仕事を辞めてもらう」――それが、私の一番の願いだったからです。
高校も短大も公立。奨学金を借り、良い成績を取り、良い会社に就職する。
遊びや思い出づくりよりも勉強を優先してきたのも、すべて母のためでした。
成績だけでなく母は私がクラス委員や生徒会の役員に選ばれると喜んでいました。
勤勉な風に見えるからか、小学校二年から高校一年生まで毎年選ばれていました。
(一人っ子でリーダータイプとは程遠い性格なので、立候補した事は一度もありません。)
念願の就職が決まり、私は母とともに実家から会社のある市に引っ越しました。
母は仕事を辞めました。
「やっと楽をさせられた」――胸のつかえが下りるように、私は心から安心しました。
ところが、ある日掃除のことで少し文句を言っただけで、母は怒り、翌日にはパートを決めてきたのです。
まるで嫌がらせのように。
そのときの衝撃と虚しさは、今でも忘れられません。
母に裏切られたような気持ち。
同時に「自分の存在価値とは何なのか」と揺らぐ瞬間でもありました。
再び始まった母の愚痴の日々。
今度は肉体のしんどさではなく、人間関係のしんどさを聞かされました。
私は母のために進学先も職業も選んできたつもりでした。
しかし――。
母のためにと選んだ進学、就職。
友人との楽しい遊びや思い出を犠牲にしてまで勉強に打ち込んできた日々。
――その20年間は、一体何だったのでしょうか。
人はそれぞれの思いを抱えて生きています。
読んでくださったあなたの心にも、何かを映してもらえたなら幸いです。
