母にとって、私の成績こそが生き甲斐でした。
「成績が良くないと価値がない」と信じ込み、努力してきた私。
でも社会に出て待っていたのは、まったく別の現実でした。
先日のブログで、入社してから愕然とした話を書きましたが、他にもよく思い出す出来事があります。
お給料は良かったと書きましたが、実際には女性社員は男性社員のアシスタント的な役割で、男性の方がはるかにお給料は高かったようです。
社内の雰囲気も独特で、男性社員は標準語、女子社員はほとんど30歳以下の広島弁という、ちょっと面白い空間でした。
ある日、同じ部署の数人で話していたときのことです。
その中に新婚の男性社員がいて、東京本社で社内結婚をした後、支社に転勤となり、奥さんと社宅に住んでいました。
誰かが彼に「奥さんはどこの大学出身ですか?」と尋ねました。
すると彼はあっさりと「うちの奥さんは大学出てないから」と答えたのです。
私は衝撃を受けました。
「高卒で採用されることもあるんだ。やっぱりコネ入社なんだな」と。
奥さんは彼のアシスタントだったそうで、彼の話では「仕事はすごく遅いし、間違いも多かった」とのことでした。
その話を帰宅後に母へ伝えると、母はすぐに「そんな女の子を男は可愛いと思うんだよ」と言ったのです。
その瞬間の気持ちは、今でもうまく言葉にできません。
私はずっと、母のために良い成績を取り続けてきました。
母子家庭で、母は「あなたの成績が生きがい」と公言していました。
小学校では通知表がすべて「5」でなければ機嫌が悪く、体育で「2」を取ったときには激しく怒鳴られました。
中学以降は10段階評価で「7」だとがっかりされ、体育はいつも「6」止まりで「あなたは体育がダメ」と繰り返し言われました。
低いテストの点を隠しても部屋を物色され、見つかれば怒鳴られる。
成績以外に私の価値はないと刷り込まれて育ったのです。
やっと就職して成績から解放されたと思ったのに、今度は仕事でも完璧を求めて頑張っていました。
そんなときに聞かされた母の言葉——「可愛い子の方が男には好かれる」。
社会で女性に求められるのは、努力や成績ではなく「愛嬌」や「抜け感」だと、薄々気づいてはいました。
でも、それを母の口から言われるのは耐えられませんでした。
母はそれを知りながら、私にはひたすら「成績だけ」を求めてきたのです。
いまでも、あのとき母がニヤリと笑いながら言った表情が頭から離れません。
↑この作文はちゃとこ先生に添削してもらいました。