今日は仕事前にお乳の検査の結果を聞きに行きました。
血液と尿も検査してもらったので、軽い健康診断になりました。
結果は異常なし。
肝臓の数値も大丈夫でした。
せっかくなので、ここで忘れそうになってしまう乳がんの闘病記について書き留めておきます。
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私が乳がんと告知されたのは48歳の時。
当時の乳がん検診は触診が主流だった。
しかし私は親族に乳がん患者がいたので、早めに毎年マンモグラフィは受けていた。
以前から少しの石灰化は確認されていたが、ある年少し増えていた。
マンモトームという太い針を刺して組織を取る検査で癌が見つかった。
それまでは乳がんといえば、手術して患部を切り取り、抗がん剤で髪の毛が抜ける。くらいのイメージしかなかった。
(一昔前と違って乳房をごっそり取るのではなく、なるべく温存して形を残そうというのが主流になっていた。)
しかし実際には他にもたくさんの知らない辛い事実があった。
まず手術の前に医師からとても痛い注射を胸に刺された。
確か造影剤だったような。
患部だけでなく脇のセンチネルリンパ節も切除した。
手術が終わり全身麻酔が解けたら、とても口の中が気持ち悪くて口をゆすぎたかった。
でも看護師さんは対応してくれなかった。
入院は1週間もさせてもらえず、退院するとすぐに出勤した。
傷あとがしばらくの間凄く痛くて姿勢は斜めになった。
切除後の生検で私の癌は「顔つきが悪い(再発しやすい)癌」とわかったので抗がん剤治療が必要になった。
仕事を辞めたかったが同僚に引き止められたので治療しながらの勤務になった。
抗がん剤は1回目こそは入院したが、あとは通いで点滴を受けた。
何回受けたか覚えてないが数ヶ月かかった。
点滴の日とその翌日は仕事を休んだ。
しかし点滴前には白血球の検査があり、白血球が足りないと抗がん剤は延期になった。
その場合白血球を増やす注射を腰に受けた。
私はその注射の副作用が強く出て、腰に体験したことのない激痛が走った。
事務の常勤で働いていたのでウィッグを装着した。
まず抗がん剤の投与が決まった時、すぐに看護師さんからウィッグのお店を3件紹介された。
抗がん剤治療が始まるとそれどころではないから、事前に用意するよう言われた。
ウィッグは暑いしお手入れも必要だった。
生えかけでまだ短い髪の毛だったが、5月には暑くて脱いでしまった。
抗がん剤も一度に3種類くらいの点滴があるので、患者自身も気をつけないと看護師さんが手順を飛ばすなど間違えることがあった。
点滴自体も漏れると大変な薬剤らしく、常に緊張が走っていた。
私の腕の血管は奥まっているため、点滴はよく失敗された。手術した左側の腕は使えないため、利き腕の右手の肘の内側はいつも青じになっていた。
そのうち手首の血管などを使ってもらうようになったが、とても痛かった。
吐き気どめの飲み薬の処方を忘れられた事も一度あった。
抗がん剤だけでなく放射線治療も必要だった。
一か月くらい毎日出勤の前に病院に通った。
しかしマシンの故障とかで、直前に受けられないと告げられるときもあった。
放射線治療と抗がん剤治療が終わるとホルモン治療が待っていた。
私の癌は女性ホルモンを餌にするタイプだった。
毎日女性ホルモンを抑える錠剤を5年間飲んだ。
(当時の同級生は更年期障害で女性ホルモンのパッチを腰に張っていると言っていた。真逆である。)
落ち着いてからも10年間は年に一度病院に通った。私は切除と同時に再建手術もしているので、乳腺科と形成外科の両方で再診した。
このように乳がんってなってみないとわからないこと、本に載っていないことが沢山あった。
↑とても早期発見でステージは1期だったのに、上記のような治療でした。
今では乳癌検診でマンモグラフィは常識になっていますよね?
女性の方には絶対に毎年受けて欲しい検査です。