7年前の私を思い出した。
一番なりたくなかった病気、乳がん。
父方の叔母が乳がんで亡くなっていた。

数年前から定期検診ではなく自らマンモグラフィーを受けていた。

当初から点々と白く映る石灰化があったがあまりに小さいので様子を見ていた。
しかし前回より大きくなっている事がわかった時、大きな病院で生検を受ける事になった。


場所は左胸の下側。
麻酔もせず、マンモトームという筒状の機械を胸に刺し組織の一部を取る。

それだけでも充分痛いし跡が残った。

でもそれはほんの始まりに過ぎなかった。

ペットCTやMRIなどの初めての検査三昧の結果、乳がんと告知された。


その時私は医師に「乳がんになったことより、胸の形が変わることの方がショックだ。」と言った。

後で思い出すと随分とぼけたことを言ったなと思う。
でも当時はそれが正直な感想だった。

告知された夜、私は一人で泣いた。
元夫とは既に別居していたし、家族には泣き顔を見せなかった。
 

医師は私の気持ちを汲んでくれ、温存療法の同時再建手術が行われた。

乳腺外科の医師が患部を切り取り、形成外科の医師が形を整える、2人がかりの長時間に及ぶ手術だ。

切り取りった患部の生検の結果、一番大きい癌で3ミリ。

手で触れて確認できるようになるまで四年はかかるそうだ。
しかし予想では0期と思われていたが1期だった。

癌の種類にも色々あり、私のは「顔付きの悪い癌」(非常に悪性)ということで、抗がん剤治療が決まった。

すぐに看護師さんに三箇所ほどウィッグの店を紹介された。
抗がん剤が始まったら気分が悪くてそれどころではなくなるので、すぐに用意するほうが良いと言われた。
大変な事になってしまったなと感じた。


その後は抗がん剤、放射線治療、ホルモン療法などあらゆる治療と検査を経て、今の私がいる。


ホルモン治療の薬は五年間毎日飲んだ。
同級生は更年期障害で女性ホルモンを補充する治療している人も居るのに、私の癌の性質から女性ホルモンを押さえる薬を飲まなくてはならなかった。


一番気にしていた胸の形は、やはり歪んでいる。


胸というのは左右あるのでバランスの悪さが目立つ。
形成外科の医師は、私の胸を診察するたび残念そうに顔を歪める。私はその表情にちょっぴり傷つく。
「保険適用でやり直しできます。」とむしろ再手術を勧めているようにも思える。

でも私はもういいかなって思う。
再手術するにはまた仕事を休まないといけない。
一旦は退職しようとしたが、引き止めてくれた職場だ。

現夫も身体に負担のかかる再手術には反対だ。

今の私には胸の形よりもっと大切なものがあるから。
目に見えるものより見えないものの方が大切だとわかってきたから。

早期発見できて良かったとシンプルに思えるようになったから。

今後再発や転移の可能性もある。
だからこそ毎日を大切に生きようと思っている。