小学校も、中学校も、上野の文化会館に近かった。

なので…

小学校時代も、中学校時代も音楽鑑賞会は、文化会館でウィーン・フィルが聴けた。

※PTAが力を入れていた。

どういう訳か、ウィーン・フィルが羽田空港に到着する頃、『お出迎えに行かなくては!』と、落ち着かなくなり、出向いた。

私:『お昼の放送でレコードを使わせてもらっています!』

ゲル:『ヾ(^▽^)ノ…それは、それは、ありがとうございます!』

コンマスのヘッツェルさんの、【ブルブル握手】に私はハマっていった。

電撃を受けるような握手に。

超ハッピー!ヽ(≧▽≦)/

なのにみんな『ベイシティーローラーズなら迎えに行くけど、クラシックはね…』と、尻込みした。

ところが、中学校へ上がると、和美ちゃんとユウ子ちゃんという、

母親が《カール・ベーム(ウィーン・フィルの指揮者)追っかけ》

という2人に出くわし、その母親付きで空港へ出迎えた。

和美ちゃんの母親が車を出してくれたので、楽チンだった。

カズミの母:『何であなた若いのに、ウィーンのヘッツェルさんが好きなのォ!?』

…そういえば、ヘッツェル目的で空港に来てる女の人見回しても、私ぐらいの子(10才から14才)は居なかった。

私より一回り年上の世代から、和美の母親(1940年生まれ)くらいの人が多かった。

中学生は私だけだった。

カズミの母:『ねえ。何で何で?』

私:『あの、ブルブル握手をしてくださるし、ああいう音楽が好きなんです私。』

カズミの母:『ブルブル握手?私に対してヘッツェルさんは普通の握手だったわ~、

でもね、ハラシェヴィッチさんの手よりは華奢でビロードのように柔らかい所は、ピアニストとは違うわねぇ!と、私も少し驚いた。』

私:『(^o^)/…ですよね!アダムさんの握力の強い肉厚な手のひらとは、違いますよね!?私はゲルの、バチンバチンと電気の来るような握手が大好きなんです。ビロードのような手なんですけれど、電撃を受けるような…』

カズミの母:『風流ねえ!ベイシティ ローラーズよりウィーン・フィルが好きだなんて。あなた本当に和美と同い年なのォ?!』

私:『同い年ですよォー、和美ちゃんだって、ウィーンの話しを学校ではしてます。』

カズミの母:『え?あの子が?』

******

それから、級友の和美ちゃんと行動するよりも、このお母さんと行動する事が多くなった。

とにかく、この和美ちゃんの母は
《ウィーン・フィル》と《カール・ベーム》と《ハラシェヴィッチ》が大好き。

空港へお出迎え、いつも行かされた。

中学時代の途中から

国際空港が

羽田から《成田》に変わり…

遠くなった。

それでも、和美ちゃん母の車で、ユウ子の母←この人も《カール・ベーム追っかけオバチャン、あ、姉さんと呼んで!って言われた》と一緒に成田空港へお出迎えに行った。



音楽のE先生とK先生と副担任の吉田先生の目にとまり、

『和美母とユウコ母と、あなたという奇妙な年の離れた関係は、何なの?』

聞かれた。

二年生の夏には、グリュミオーのサマースクールへ参加するのを、この三人の先生方は推してくれたが、

肝心な担任の角田先生だけ反対した。

ツノダ:『不良達に刺激になるなぁ!沖縄へ行く、という事にしなさい!』

私:『(°∇°;)…え?ベルギーと言ったら、不良達にマズいのでしょうか?』
↑↑↑
※角田先生の、不良達を刺激しないように…が、未だに解らない私。

他の先生方は、
『どうせ、和美母が一緒なのでしょう?』

と、言われたので『はい』と答えておいた。

■□■□


和美母は和美にピアノの猛特訓をさせて、ハラシェヴィッチのサマースクールに二週間、参加させた。

だから、サベナ空港まで一緒で、親子はベルギーから電車で教授アダム(ハラシェヴィッチ先生)のいるザルツブルク音楽院まで戻った。

私は、教授アダムはポーランド人だし、ワルシャワ音楽院かと思っていたが、

サマースクールはザルツブルク音楽院で開いていた。



ブリュッセルに到着したら、伯母の藤間節江(メキシコに渡った日本舞踊家)が先に着いていて、

父から生活面の監視を頼まれた、とのこと。

(p_-)…あー、 14歳って、父から見たら【監視の要る子供なのね】

グリュミオーの音色をそばで聞いて驚いた。近くで聞くと、弦と弓を擦るときの摩擦音も入り、かなり圧力をかけていらっしゃる。

音色自体は、この世の物ではないような、別世界の音だった。

木目の廊下に、くす玉が銀粉をこぼしながら転がっていくようなバイオリンの音色は、逸品だった。

また、ビブラートのかけ方が凄い。左腕の二の腕の筋肉で、ぶるぶるかけるビブラートなので、指板にも必然的に圧力がかかる。

オペラ歌手よりも振幅があり、ピッチが速いビブラートなので、そこに“グリュミオーの美音の秘密”が有るのだ!と、悟った。

私:『先生!Yシャツではなくて、ノースリーブ姿になって、ビブラートをかけてください!』

グリュミオ:『Yシャツは脱げないよ!でもね、僕の後ろに来て見てごらんなさい。力のかけ方が解るハズだよ。』

私:『はい!』

※バイオリンの良い先生を見つけたら、背広を脱いでいただいて、Yシャツ姿になってもらい、生徒の私たちは、後ろ姿を見て学ぶと早い!

背筋、肩甲骨の動き、ビブラートをかける時の、二の腕の筋肉の動き…etc.とにかく、弾いている後ろ姿を見せていただく★

将来、大学生になるときは、ここの門下にしよう!と、決めた。

□■□■

ブリュッセルの、グリュミオー・サマースクールから日本に無事に帰国し、

2年1組から 徐々に、伝言で、サマースクールの話しが伝わって行った。

しかし、2年6組に伝わった内容が、な、なんと

【グリュミオー】ではなく

【ショパンのサマースクールに参加した!】

と、なっていた。

ヽ(≧▽≦)/…こわいよ!ショパンは死んでるよ、だって1810年から1849年の人じゃん!

和美ちゃん母子は、ついでに【しかっとゲルヒーの前の席】で、ザルツブルク音楽祭を聴いてきたわよん!
だって。

ヽ(≧▽≦)/…いいなぁ!

私も I LOVE GERHART☆

ゲルヒー 大好き★

↑↑
※当時、ゲルヒーに兄弟が居ることも知らず、、

弟くんと知り合うとは、夢にも思わなかった。

中学の時、友達と交換日記をしていて、今、読み返すと【I LOVE GERHART】と、ところどころに記されている。

ベルにゃん、横取りし、ヤキモチを焼く。

ベル:『俺じゃなくて、I loveゲルヒーなの?』

私:『(^o^)/…当時はベルニィの事を知らなかったもの。ご兄弟が居るって事も知らなかったの。』

ベル:『俺と先に出会っていたら、ゲルヒーより俺でしょ?』

私:( ´艸`)…。