2009年8月上旬

父の容態は変化しましたが、酸素10L投与したまま、翌日の朝を迎えることが出来ましたキラキラ

 

午前中には父が経営してきた会社の従業員さん達、高校の同級生達も来てくれました。

苦しい中、同級生の声はしっかり聞こえており、目を見開いて喜んでいた父が忘れられませんえーん

 

あんなにお酒が好きだったんだから、せめて香りだけでも…と提案があり、病院に相談して父の口にほんの数滴ですが、含ませました。同級生の計らいに感謝ですウインク

 

しかし、身の置き所のない苦しさもあり、鎮静の話が出ます予防接種

どのタイミングだったか忘れましたが、持続でモルヒネの皮下注は始まっていました。

 

この時、すでに父に声を掛けてもあまり返事がなく、意識レベルも落ちていたと思いますが、母や親戚は反応が薄いことを心配し、大声で声掛けます。

反応があると「よかった」の繰り返しアセアセ

 

父が休めないんじゃないか?と思いますが、亡くなってしまえば、声掛けもできない訳で、母に後悔もして欲しくない泣

 

そんな話を看護師さんとしていたら、鎮静には坐薬をうまく使用、モルヒネを一時的に増量しながら経過を見ていく話がありました。

 

しかし、坐薬を使って様子を見ようとしても、母が声を掛けるのは変わらずアセアセ

 

ついに父がマスクの中から「うるさい!」と聞き取れないような声で母を怒りましたびっくり

父にしてみれば全くその通りだと思います、もう笑うしかありませんでした笑

 

今回、水疱瘡にかかっていた妹の子ども(父にとっては孫)ですが、院内では周囲と接触しないよう、部屋から出ないことを条件に面会が許可されました。

 

緩和ケア病棟では融通が利かせていただけることが、本当にありがたかったです乙女のトキメキ

 

しかし、人の出入りは相変わらず多くあり、にぎやかですが、何だか落ち着かず…泣

父を静かに休ませてあげたい。

 

母にそんな話もしたんですが、母は、いざという時に動いてもらえる、周囲にも支えられていましたくるくる

 

父は坐薬使用後より、無呼吸が出始めていました。

尿量も減り、呼吸も浅くなっており、今日か明日…と言うところで、職場にも連絡し、私はそのまま残ることになりました。

 

主人は代理の利かない仕事があるため、一旦B県に戻ることになり、夕方出発しました車