2009年お正月
私達も帰省し、一家で集まりました
父は体調が良くなってから、たまにアルコールを摂取していました。
主治医からは、食道がんには大酒飲みが多いので、元々好きだった方に厳しく禁酒するのは酷であり、体調が悪くならない程度なら可能、と言われていました
2009年1月中旬
元々経営者の父は、時間があれば、経営に関する持論や起業や資産を増やすには…という色々な策を練り始めます
老後の堅実な生活を望む母との関係が、悪化しつつありました
父が元気になった証拠ですが、些細なことが引き金となり、ケンカ勃発
父「B県に行く!マンションの鍵を渡せ!」
無謀にも車で3時間もかかる、赴任先のマンションがあるB県に行くと言い出しました
その日は21時過ぎており、体力も落ちている中、夜の運転は無謀です
もちろん母は止めますが「車で仮眠しながら行く」と飛び出しました
すぐに母から私にも連絡が入り、父を止めますが、母が私に喋ったことに、父は更に怒りだして…私まで怒られる始末
仕方がないので、父がいつ到着しても困らないよう、マンションに向かい、預かっていた立体駐車場の鍵や、簡単な食材を購入、置手紙を残しておきました
翌日、私は仕事だったので、マンションに出向く予定はなく、母より父が会長を務める会社に状況説明の連絡を入れておいたら、昼頃に父が事務所に顔を出したようでした。
その日の夜は、ひさびさに仲間たちと夜の街に行き、楽しんだようです
翌々日、父に電話をすると、心配かけたことへの謝罪があり、もし来てくれるなら、お風呂に入っておくので、気切部の処置を手伝って欲しいと頼まれました。
普段は母がしているので、結局一人では、何もできない父なんですね
父は母を怒鳴りつけたことを反省し「(私から)こっちに来るように行ってくれないか」と
しかし、母は「行かない!」の一点張り。夫婦あるあるです…
それから数日経ち、父が会社に来ない日があったため、心配して母に連絡が入りました
電話は繋がりましたが、父は元気がなく。。
心配した母は結局、翌日にはB県にやって来ました
父の体調は万全ではなかったようですが、とりあえず、緊急性はありませんでした
母と私は二人で出かけ、色々話します。
偶然に立ち寄った書店には「食道がん」に関する本がありました。
私「お父さんは今は何とか元気だけど、もし再発でもしたら、今後は厳しいよね」
母「え?そうなの?実は○○ちゃん(母の看護師友人)からも同じようなこと言われたんだけど、あなたもそう言うの?」
私が看護学生の頃、がん患者さんが手術して元気になっていく姿に感動したこと。
でも…看護師になってからの現実は、術後に再発して、病院に戻ってくる例もあり、亡くなる方も多く診てきた…そんな話をしました
母はしばらく内容を確認し、その本を購入。
父には分からないよう、ブックカバーを付けてもらい、持ち帰りました。