2008年3月下旬
父の付き添いに明け暮れていた母でしたが、時折、帰宅できるようになりました
父も問題がなかった訳ではなく、思うようにいかない体とイライラを全て、母に当たっていた時期でした
母は付き添いによる疲労とストレスがあったと思いますが、私の退職日は、妹一家とサプライズで、お疲れ様パーティを企画してくれました
無償の愛のありがたさが染みる、なつかしい思い出です
2008年4月上旬
6月の結婚式に向けて、桜の時期に前撮りを行いました
父は入院中でしたが、母も駆けつけてくれて、両家の親戚も集まり、和やかに終わりました
主人とは故郷は同じですが、当時は遠距離恋愛でした。
2008年4月中旬
術後も1ヶ月弱経過しましたが、父は元々の紹介先であった地元の病院に経口摂取のリハビリ目的で転院となります
ちょうど桜が散る時期で、花びらの舞う大学病院からの帰り道
父は久々に外に出ますが、助手席をリクライニングし、ずっと横になっていました。
高速での道中、SAでトイレ休憩もしましたが、表情も冴えず、きつかったんだと思います
2008年4月下旬~5月
地元の病院に戻ってからは、父も親戚や友人との面会の機会も増え、孫達と過ごす時間も持てるようになり
体力はないけれど、仕事の打ち合わせをしたり、少しずつ以前の父に戻りつつありました
経口摂取のリハビリを継続していましたが、閉じた気切部の傷もなかなか良くならず、シャワー後は毎日テープで固定したり、処置は継続
その頃の私は、6月からの新しい生活に向けて、実家のあるA県から転居予定のB県を行き来する日々でした
偶然にも、私の転居先は父の単身赴任先であったB県だったので、そこには父の生活拠点がありました
新居の準備の合間、マンションに立ち寄り、空気の入れ換えをしたり、郵便物を処理したり
父は元気になって、このマンションに必ず戻ってきてくれるはず
その頃は私も近くに居て、行き来したり、一緒に食事したり…そんな日々が来ることを心待ちにしていました