クラストチャーチ の病院に入院をして、手術をする事になった。


胎盤を剥がす手術

ガス麻酔でチャレンジしたが、
悲鳴をあげるような痛みで、出来なかった。
なのでオペになった。



私は食事もしていた為、すぐのオペはできず、
胎盤が体の外に少し出たまま6時間ベットの上で過ごす事になった。


その間、亡くなった赤ちゃんの事を考えると、涙がとまらなかった

日本に残ってれば、、
友達の言うことを聞いていたら、、
医者にもっと突っ込んで聞けばよかった、
処方された薬を使用しなければよかった、、。
 主人の言うことを聞くんじゃなかった、
後1ヶ月日本にいれば日本で薬もらえたのに、、、


しっかりした胎盤
最後まで剥がれる事無く、赤ちゃんを守って立派に仕事を果たしてくれた胎盤。

ありがとう。

私の身体に感謝した。



看護婦が
私の腕にカーテルを設置

点滴だったり、麻酔を入れたり、痛み止めをすぐに出来る準備だ。

私の血管は難しく、日本での入院生活でもそうだったけど、
毎度ながら看護婦泣かせ。

これは世界共通のようだ。

とても困っていたので

1番良い場所を教えてあげた。



予定時間からかなりの時間遅れで、オペ室から迎えがきた。

私1人なので文句も出ない。


手術室に入る。


手術は医者が少なく急患が多い為、待つ事になった。
私の後にもベットが3台くらい並んでいた。

手術室の前にある時計を確認したら、9時、
って事は、9時間30近く
胎盤が少し体から出た状態でまっていた事になる




麻酔を入れてもらうと私はそのまま意識を失った。
もう記憶がない。


 


手術を終えたらしく、男の人が
私の名前を呼びながら
ホッペタを叩いていた。


いたっ、
じんわりと目が覚めた、、。

時計を見ると、午前1時だった。
20分で終わるはずの手術なのに、何でこんなに時間がかかったのだろう。

輸血はしたのか?
私の子宮は?


頭がクラクラ吐き気がする。ポンっと桶をベットに置かれた。


全身麻酔のせい



その後
痛み止めを入れてもらう時に、
カーテルの位置が違っている事に気づいた
左手、手の甲に移動していた。

こんなとこにも入れられる場所あったんだ、


病室に運ばれて

その夜、抗生剤を点滴しながら
1時間おきに看護婦さんが血圧を測ったり、出血の具合や、脈拍をマメにして様子を見にきてくれた。
献身滴に尽くしてもらえた、

何で?子供がいる時から
ちゃんとしてくれなかったの?
又涙がとまらなかった。



そして何とか、

一夜あけ



朝一番で、
抗生剤の投与が始まった。

その時に
カーテルから激痛が走る!!

いたい    イタッタタタタ

無理無理!
何で?今までokだったのに?

痛み止めを念のために呑んで
あったかいタオルを当てて、再度チャレンジ、

血管を大きく開いてから、抗生剤を何とか30分入れ切った。

ふぁ、おわった。


そしてつぎの抗生剤の時間がやってきた。

その抗生剤は



1滴でも入れることが出来なかった

痛い、


なぜ?


なんで?

何で何だろう、、


あっ、そうか?!


そこで気がついた。


カーテルの大きさと私の血管の大きさがあっていないのでは?点滴の量と、血液の流れる量があっていないので、細い血管が悲鳴をあげていたのだ。


今までは、痛み止めや、全身麻酔でごまかされてたけど、

どう見てもこの位置のカーテルおかしいよ!!



そういえば、口の中にも口内炎が4つある、

何で??




もしかして、、、。

この国の人間は今がよければ良い考え、
つぎの事を考えて行動するような習慣はない、

なるほどな、、、。


続く