書簡集。

この手を読むのも、大好きである。その人の本当。

思想や性格が見え隠れするのが、面白い。

「有名人のラブレター」(出版社等、忘れてしまいました)を昔、図書館で借りて

読んだけれど、余りにもの面白さに、大興奮。一挙に鼻息が荒くなった。

 

私信。

新潮社が出している「新潮 日本文学アルバム」には、山とその類いが掲載

されているけれど、(おっ?)目が留まったのが、三島由紀夫だ。

自決する数年前、夫人を伴いディズニーランド。

本場アメリカのDランドで三島は遊ぶ。「大人の自分でも楽しい場所だったから、

子供達も是非、連れてってやりたい」帰国後、母親に言った場所から送った

絵葉書が掲載されている。

真ん中に大きな猫の顔がついた奴だ。

「のり子ちゃん。お父様とお母様は、、、、」

普通の父親として子供を呼び、「お父様」「お母様」。三島が呼んでいたように、

自分達を自称する。所が、である。

(ママ)

最後の最後に、夫人は自称。カッコ書きである。

 

勝手なわたしの推測だが、「ママ」。

多分、三島が不在の時。夫人は子供達に呼ばせていたのではあるまいか?

「お父様」「お母様」

夫人も呼んでいたと思われるけど(父親は画家・杉山寧<やすし>)「ママ」。

夫がいようがいよまいが、正々堂々(?)。

子供達に呼ばれるのが、夫人憧れの生活(?)であった。

「お父様がいる前では、ダメですよ」

「お父さまがいない時だけ、<ママ<にしてね」

何回かの約束から、秘密の言葉。

その内、暗黙の了解みたいになっていった。

 

深くを進めると、三島と母親にも繋がる不思議さだ。

 

良く知られるように、三島が小説を書くのを父親は由々しく思っていた。

「小説を書くのは、母と私の何とか作業」三島自身も書き残し、

父親も「原稿用紙を破り捨てた」強硬手段に出たのである。

 

「言葉遣いにやかましい」「食事の時は、テレビは絶対禁止」

甘い父親であったようだが、この2点だけは守らせていたらしい。

「ママ」

万が一、三島在宅の時に、子供達が言ったらば

「言い直しなさい」

あの大目玉で、窘めただろう。

 

小説を書くのが、母親との共通点。秘密の作業であったように、

夫人もまた、三島の知らない所で(?)、子供達との秘密の言葉を持ち、

分かち合っていたのだ。

 

知らない間に、廻る親。同じような経験をしてしまうのである。