医学部へ行きたいと行った息子。

遅い反抗期が高校で来て、私とケンカばかりしていた。
成績も高校ではビリの方だった。

私は、自分が勉強あまり好きではなかったし、私の弟は高校出て働いてるし、

息子は、高校出て働けばいい、成績悪いのなら、正職員で働けないかもしれないが、とりあえず、高校卒業したら家を出て行ってもらおうと思っていた。
そんな息子が
まさかの医学部。

小学生の夢を諦めてなかったのかー。


でも私達能天気家族。

夫も私も本人さえ、医学部がこんなに難関になってるのも知らずに夢の医学部受験に突入した。

まだ1月センター終わったばかりの頃には予備校探して、医学部受験の人ばかりいる寮に申し込みした。誰よりも早く申し込んでいるのに、成績が悪すぎて、その寮には入れなかった。

息子の入った寮では、希望する親に、親も宿泊し、参観できたので、1浪で受かると思っていた私は、参観を申し出ると、予備校生の前でスピーチがあるという。


こんな話をした。




みなさんは大学に受かるという目標に向かって頑張ってる。


実は昨日、ある人に出会って、うれしかったので、その話をします。

ある人とは養護学校の教員をしていた私が出会った、こうちゃんという、目がみえず知的障害のある子です。そのお母さんがガンになり、命の期限が迫って、もしお母さんに何かあっても、こうちゃんがわかるように、楽しい絵本を作り、お母さんの声でCDに吹きこもうと。


お母さんの余命は医者から3ヶ月と言われていたけど、絵本を出版するという目標を持ったら、1年の間に3冊の本を出版できました。

お母さんは、すごく大事そうに絵本をさすりながら、

「目標があるって生きる支えだねー。


先生、私に最後まで目標を持たせてくれてありがとう。」


と言ってくれ、


最後まで、こうちゃんの事を心配しながら、亡くなりました。



それから10年たち、こうちゃんは20歳になりました。


私は、

毎年12月のお母さんの命日にお菓子のはいったサンタクロースのブーツを持って行ってました。


お父さんが

「先生にありがとう言わなきゃ」

と言っても、10年間何もいいませんでした。


今回20歳になったので、

こうちゃんやお母さんを思う人が出し合い、ジャケットとゴムでかぶれるネクタイを持って行きました。


昨日は


私が、帰ろうとすると、初めてこうちゃんが、


「先生ありがとう」


と玄関まで来て言ってくれました。


生前お母さんがよく、「こうちゃん自分からありがとうと言えればいいんですけどね。」

と言っていました。


私はうれしくなり、お母さんの写真に


「こうちゃん目標達成したよ。」


と報告しました。



大人も子供も、障害がある人も、目標はそれぞれ違うけど、目標に向かうことで、高めあって行けます。


みなさんは、ライバルであり、同じ目標を達成する仲間です。


こうちゃんのように目標達成し、笑顔でここを去る日を願ってやみません。


こんなことを言ったと思う。


自分の息子はそれから4年もたって、目標を達成した。


息子に聞いた話によると、私のスピーチが終わった後、息子の肩を叩きいいお母さんだね。と言ってくれた人も、いたとか。



5浪する間に私に内緒で精神科にも行ったことがあったらしい。

そうまでして、息子が頑張れたのは、


こうちゃんの母が亡くなったのと、私が脳出血になったからだと思う。

死というものを遠ざけるんじゃなく、自分もいつかは通る道をしっかり学たいと思ったんだろう。


そして、自分は1人じゃないと、たくさんの人の思いと応援があると気づいたからではないかと思っている。


今、私が60歳になろうと云う年に、こうちゃんの絵本のできるまでを書けたのも感慨深い。


かわの仲間達。印刷屋さん。本屋さん。れいこさん。絵本を作る時手伝ってくれた人。絵本を買ってくれた人。講演に呼んでくれた人。家族。身内。私の友達。

脳出血後ブログで知り会いお友達になった人。

その繋がりで脳卒中片麻痺当事者の会に入り、

私みたいな失語症の人にも、わかるようにと、YouTubeに私の声でブログこうちゃんの絵本をアップしてくれたノブさん。

みんなが楽しみにしてくれたから、できました。


ありがとう


(完)