こうちゃんの絵本を作ったのが22年前。
それからいろいろなことがあった。
K子先生が作ったCD
「なりたい なっちゃた こうちゃん」
の中で、かわの仲間たちの子供が自分のなりたい物を言っていく。
私の娘は「イルカの調教師」息子は「科学者」
他に「ケーキ屋さん」「ソフトクリーム屋さん」
今当時夢だった職業についた人はいないが、みんなそれぞれ就職したり、結婚したり、当時の子供達もそれぞれの道を歩んでいる。
科学者にはならなかったが、5浪して、医者になった息子。
聞いた事はないが、こうちゃんの絵本に関わったことが、医者になるきっかけの1つではないかと思っている。
こうちゃんのお母さんが死ぬという経験を見た息子は、それからよく
「お母さんは死なない?」
と私に確認した。
チック症状も出た。
手をアライグマみたいに洗い、襟をかんで、いつも息子のTシャツは襟がお腹のところまで垂れ下がっていた。
チックはダメよと言って治るものじゃない。
息子の心の中にある不安を払拭したい。と思い児童心理や精神医学を勉強した。
結局、K子先生の所で音楽療法の研修会があった時精神科医による場所論の講演があり、
そのことを思い出し、
私は7年前に建てた家を置き、息子が小学6年生の時、100キロ離れた田舎のアパートに移り住んだ。
まさに生活の場所を変えた。
1学年300人近くいるマンモス校から、1学年1クラスで11人の学校。
でもそんなことより、その小さな学校の校長先生が、私の若い時尊敬してた先生が校長をしてると聞いて、
全校児童が50人足らずの学校なら、自分の息子も先生から何か学びがあるだろうと決心した。
この決断は
中学生まで友達と呼べる友達がいなかった娘にしても、結婚して母になっても連絡を取り合う親友ができた。
息子にしても、家より何より、困った時は家族で考え、解決しようと考えるとなんとかなるさ、という事をこの時期に経験したので、
よかったと
今にして思う。
でも、私の身内、友達にも、
当時、家のローンを抱えた私の家族が公務員の夫をけしかけ、職場から1時間半のアパートに移り住んだ事の理解を得る事はなかった。
息子は6年生でコンビニもない町へ引っ越し、前の学校では勝手に学校に行ってた子が、
田舎の学校では、民生委員さんの犬のタロちゃんの犬小屋の前に3年生、2年生、1年生が集まってから行く。
タロちゃんに会うのは息子にとっても癒しだったようだ。
最高学年の6年生の息子が、3人を連れて行く。やんちゃ君が多かったので、車の前に飛び出さんないか、気をつけて行かないとと言っていた。
学校の前では、校長先生が立っていて、子供達に声をかけてくれる。
私と息子がケンカした時は、息子の顔色で分かるのか、校長先生から、親孝行の本とかを借りてきた。
親子げんかをした時に限って校長先生室に呼ばれていた。(笑)
で、なんか本を借りてきていた。
引っ越しして3ヶ月後には、チック症状はなくなった。
代わりに僕は死ぬことが怖いから怖くなくなるために、医学の勉強がしたいと言い出す。
(つづく)