こうちゃんのお母さんが亡くなって1年経って、 


芸術療法の学会で、お母さんが生きてる間にできた本「ほんわかへんてこふしぎなこうちゃん」

 を題材に、音楽療法士のK子先生が

「芸術としての 絵本」というテーマで発表した。


その中でK子先生が 


「人間はどんなに縛られた状況にあっても、表現する自由はなん人も 奪うことはできない」

と提言した。 


たくさんの拍手が鳴りやまなかった。そして会場から

「最近のコウちゃんの近況を聞かせてください。」と言われ、 


「だったら、マグさんに答えてもらいましょう。」


K子先生は私にいきなり振ったのである。


結局その時私は頭の中が白くなって何を言ったかわからず、

まとまりのないことを言ったような気がする。


それなのに、すごい拍手で、絵本もたくさん売れた。 



その時からもう1年が過ぎた。 



こうちゃんはいつものように

「おはようございます。」

と養護学校に来て、ビックボールの上に乗り、足で、バケツを回したりしている。

違うことは

お母さんと云う言葉を忘れたかのように、お母さんがいる時は、1時間毎に「お母さんは?」

って言っていたのに、

こうちゃんの口から、「お母さん」

と云う言葉を聞いた事がない。


今はお父さんの母、おばあちゃんが学校に連れて来ている。



私は
小学校に呼ばれてこうちゃん絵本のできるまでを話させて もらったりしている。何より、あちこちで こうちゃん宛てにもらう手紙をお父さんに届けるきっかけがあることが嬉しく、


今の私の原動力となっている。


こうちゃんの本で 授業したあと、思わず、今まで 誰にも言ったことがなかったのに、生徒の前で自分が障害児の父親であることを打ち明けたという中学校の先生。

生徒が人のために泣いたのを初めて見たという。 



こうちゃんの本を読んだ次の日、


さなぎからかえったけど、羽根の半分が折れていて飛べなくなっていた蝶を見て、

「障害があるけど、できる人がやればいいと、自分達で花の蜜を持ってこよう」


と話しあったと言う小学生。


ありがとう


 

仲間の輪はまだまだ広がっていく。




おわり。



以上こうちゃんの絵本のできるまではたくさんの応援してくれた仲間達へ向けて、2003年に書きました。