神社(神様にお返しする)に写真を持っていくために

私一人では大変だったので 父にも手伝ってもらった。

 

紙袋に入れて わかるようにしておいた。

 

私はまだベッドの中に居たが 朝の5時半ごろ 父が家を出てくのが

わかった。

 

1つ心配していたことがあった。

 

額から外した大きな写真等を 神社へはもっていかずに

写真仲間のところへ 預かってほしいということを

しないだろうか?だった。

 

私が処分をすることを恐れ 以前にそんなことを父がしていたからだ。

 

だけど 今回は 何故か 私の意識がとても敏感に働いた。

 

家を出て 神社に行く道中や 境内に入って 写真を納めるまでが

手に取るように感じられた。

 

今 写真が入った紙袋を 納める場所に置いた 瞬間もわかったのだ。

 

なので すぐに父に電話をした。

 

『今 納めるところに 写真を置いたやろ?』

 

 

すると父は なんでわかるんや

おまえは見えてるんか??? と 驚きと少し怯えたような声で

言ってきた。

 

『見えはしやんけど わかるんや』

 

 

部屋の片づけをして 写真がまた出てくると 同じように神社に

納めに行くということを 何度も何度も 繰り返し 行った。

その都度 同じような現象が私に起こっていた。

 

それが昨年の7月初旬から中旬の頃だった。

 

 

長男はその頃 手術不能の宣告をされて 生きる希望を失っている

ときでもあった。

ただ嫌なことを考えなくてもいいようにPCの対戦ゲームばかりを

していた。

東京で一人暮らしをしながら ただゲームをするという現実逃避の

時期でもあった。

 

私は 精神的に追い詰められていっていた。

やる気も気力も湧いてこなかった。

ただ執念のように 片づけに没頭していた。

 

不思議と 何故か 涙は一切流れなかった。

 

ある時 弟に心の不安を聞いてもらったことがあった。

 

『なんでかな 私 泣けやんの』

 

すると 弟がこう言ってくれた。

 

『それって 諦めてないからやん』 

 

その一言で 私の心は救われていった。

 

 

『そう 私は 息子の事を 一切 諦めていないし

諦められない。 何が何でも 息子の命を助けるんだ』という

信念だけは はっきりとしていた。

 

会社経営をしているので 仕事も休むことができなかった。

 

身体も心も 本当にしんどくって 苦しかった時期だったが

何故か 天から一本の杭のようなものが体の中心に刺さっていて

杭の先は地面に突き刺さるという感覚の中で生きていたことは

はっきりと覚えている。

だから どんなに 苦しくても辛くても 倒れるということは

決してなかった。

 

そんな私の姿を見て 私の代わりに 泣いてくれる人がいた。

私はその涙を見て 癒されていた時があった。

 

毎日のお祈りは欠かさなかったし 夜中に目が覚め眠れないときは

その時間も全て 神様へのお祈りの時間にしていた。

 

ある時・・・

 

朝方の4時前くらいだっただろうか…

 

私は確かに眠っていた。

なのに 頭から目のラインくらいまでに とても優しくて

白か金色のような光が降りてきた。

 

そして 男性のような低い声で 『キャンピングカーへ行け』と

頭の中で声を聞こえた。

 

その瞬間 パッと目を覚まし すぐに飛び起き 1階へ降りて行った。

 

父はもう起きていてので

 

『今 神様が キャンピングカーへ行けって言ってきた。

今から すぐにキャンピングカーに言って欲しいんや!』とお願いをした。

 

父はすぐにキャンピングカーへ向かってくれた。

 

 

父は キャンピングカーを所有していて その車で泊まりながら

写真を撮りに行っていたことを 私はすっかりと忘れていた。

 

ほんとうに スコンっと キャンピングカーのことが抜けてしまっていたのだ。

 

1時間ほどして 父から電話がかかってきた。

 

キャンピングカーの中に 富士山のものが沢山あったことと

2~3年前に積んで忘れていたポリタンクの『水』がいくつか放置されていたのだ。

 

そんなにも放置していたことに 私は愕然とした。 父に対して更に怒りも湧いてきた。

 

水 どうしよう っと言ってきたのだ。

 

お前 見てみるか?っと言ってきたが それよりも その場所に設置してある

流し台で きちんとお水を捨てて 入れ物は洗ってきてほしいと伝えた。

 

水・・・

きっと 龍神様が 教えて下さったとしか 思えなかった。

 

 

そして 私は手かざしという手法を信じている。

 

イメージで息子の体や 手術不能を言われ場所等

PET-CTで真っ赤に光っていた場所に光が届き

癌が消えるというイメージを持ちながら 光を送っていた。

 

それも毎日欠かさず 行った。

 

ある時 いつものようにイメージで手かざしをしていると

目を閉じていたのに 物凄く眩しい金色の光がパーンと弾けて

すぐに消えたことがあった。

 

その瞬間 もしかして 癌が 消えたのかもしれないと感じた。

 

その頃には 日本国内の風景画は 綺麗に無くなっていて

部屋はすっきりとしていた。

 

ただ海外で撮影してきたスイスのマッターホルンや グランドキャニオン等の

写真だけは残っていた。

雲元さんが 海外の写真については 神様が何も言ってこないからと

いうことで 処分を見送ったのだ。

 

父は これだけでも 残って ホッとしたことだっただろう・・・。

 

 

つづく