今回の遠野行きを全面サポート、さまざまなご縁を繋いで下さったのは大平悦子さん御夫妻でした。
大平悦子さんは、遠野青笹のお生まれ。
大学進学を期に上京、教職をつとめ、ご結婚子育てを経て退職後、現在は川崎と遠野を行き来され、遠野物語、昔話の語りの活動をなさっています。
定期的には(コロナ以前)、川崎民家園で語りの会を持たれ、関西や関東、東北でも語られていました。
 
2年近くに及ぶコロナ禍の影響がありましたが、悦子さんは、この10月、立命館大学国際言語研究所のシンポジウムで「遠野物語99話」と、「娘のしゃれこうべ」の2話を語られました。←オンライン視聴
お優しい語り口と相まって、心にすぅっと言葉が染み込むようでした。
 
遠野物語99話の、三陸大津波で失った妻(の亡霊)を夜の浜辺で見かけ、言葉を交わし、後を追い、ふと我に返る福二も、花咲く野っ原でしゃれこうべを見つけ、
「おれといっしょに酒っこ飲まねかぁ」
と、しゃれこうべ相手話しかけ酒をついで歌をうたい、花を愛でる爺様の話も、
ともに、残された親しき者が区切りを付けるため、これからも前を向いて生きていくために出会わざるを得ない必然ではなかったか、と大平さんは話されます。
 
娘のしゃれこうべでは、後日、爺様の元へある娘が現れ、御礼と頼みごとをします。私はこの原で、突然亡くなってしまったが、それからずっと娘の消息を尋ね歩いている家族に、どうか、ここにいることを伝えてもらえないかと。
6年前の川崎民家園での録画がこちらです。https://youtu.be/l7p5KnDiNGYhttps://youtu.be/l7p5KnDiNGY 

 

 

 
大平さんが、本格的に語りを始められたのは2011年東日本大震災以降となります。
語りを始められたきっかけは著書に詳しく記されています。
 
 
序文「遠野の暮らしと語り」を読むと、大平悦子さんという、すぐれた話者を育んだ豊かな土壌を感じとれます。
柳田國男に遠野の話を伝えた佐々木喜善がそうであったように....
悦子さんも、遠野の地にまつわる話、昔の暮らしの話を炬燵でお祖母さま、お母様から聞いて育っていらしたのです。
暮らしの話を聞いたことは、今にとても生きていると仰います。
それから、悦子さんの小学生の頃の担任は佐々木喜善 の三男の光宏さんだったそうです。
 
 
遠野物語、それは、遠野の「生きられた」話の数々でもあるのです。今も命脈を保っています。
今回、面会させていただいた、99話福二さんのご親族北川正澄さん、10代以上続く山伏の家系で、現在86歳になられます。固有名詞で書かれている柳田國男の遠野物語であらばこそ、続編に関しても襟をただして臨む所存です。
 
 
大平家の囲炉裏端で
鶏卵(中にあんこ入り)をいただきました
お漬物は、御主人お手製です
 
 
瀬川ヒロコさんとの昼食
郷土料理 ひっつみを拵えてくださいました
おにぎりも、お米がとにかく美味しくて
 
煙で霞んでいます
大平御夫妻、本当にありがとうございました

 
大平さんは、徐々に語りの会関西、東北など再開されています。実演をはやくお聞きしたいと願います。