故郷から東京へと戻る列車に乗り込んだ喜一郎は窓辺から今しがた自分が滞在していた農村を見下ろしていた。東京からここまで来るには新幹線で大きな駅まで行き、そこから鈍行列車を乗り継がなくてはならない程の田舎なので帰省は久々であったが、父母共に健康であり、家業を継いだ友人とも久しぶりの再会が出来たので喜一郎は大変満足していた。一本しかない路線に乗って列車はゆっくりと動き出す。周りは収穫を間近に控えた田園がひろがり、その間にぽつぽつと小さな家屋が身を寄せ合うかのように2,3並んでいる。トラクタに乗ったおじいさんが収穫をしている姿も見える。東京に住んでいるせいか、ここでの暮らしはひどくのんびりしたように感じられた。東京に帰ればまた忙しなく繰り返す毎日に戻ってしまうのかと喜一郎は陰鬱な気持ちになったが、この晴れ晴れとした空を見ているとそんなことはどうでも良くなった。白銀に輝く雲が10か20か、ゆっくりと低い空を飛び、この村を取り囲む大きな山々にいくつも濃緑の影を落としこんでいる。かと思えば、薄く引き延ばされた雲がとても高い所で、あたかも床に敷いた白いカーペットのように悠々と広がっている。その姿を見ると季節が夏から秋に移ろいでいるのがすぐ分かる。真夏の空に浮かぶ綿菓子のような大きな積乱雲と秋に広がる鱗雲の共演は喜一郎の心を和ませた。
再び目線を落とすと、空の青とは打って変わって沢山の緑が喜一郎の目を賑わせた。収穫済みの田んぼは若草色のような明るい緑色を湛え、収穫前の稲穂は金色に輝いている。そして奥の山々は深緑の威厳に満ちている。近くを流れる小川には幾人かの少年が川遊びをしていて、同じように遊んでいた自分の姿が重なった。喜一郎はいよいよ東京に帰りたくなくなったが、数年前、親の反対を押し切り故郷を飛び出して都会を目指したのは他でも無く自分自身なのだ。今回のような短い期間の帰郷ならまだしも、今更戻れる訳もない。
かたたん、かたたんと列車が揺れる度、首に掛けているネックレスが音を立てる。喜一郎には東京に婚約者がいた。今回の帰省は結婚の報告でもあったのだが、都会育ちの彼女は喜一郎の故郷に行きたくないと言った。こんな田舎には興味が無いらしい。そんな彼女と結婚したらこれからの人生で再び故郷で暮らす事は無くなってしまうだろう。自分はこれからもずっと灰色のビルが立ち並ぶ東京で暮らさなければならないのか。婚約者は喜一郎の上司の娘なので喜一郎は今まで彼女の言いなりだったが、このままだと一生後悔してしまう気がした。列車が揺れる。ネックレスも揺れる。彼女からのプレゼントは喜一郎を縛る銀の首輪だった…。
窓を開け再び空を見上げると、上空に白い鳥が二羽、三羽と隊列飛行をしていた。彼らは空を駆け巡り、散り散りになったと思えばすぐにまた列を作り飛行を続けていた。そんな彼らの自由さが喜一郎の手を動かし、首輪を引きちぎって窓から投げ捨てさせた。喜一郎の顔から一切の憂いは消え去り、冴え冴えとした決意に変わっていた。
大きな山々に囲まれた農村に一筋の風が吹く。その風は秋を告げに廻る白い鳥を乗せて、静かに彼らを運んでいった。
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