ななほん

ななほん

読書が好きなわたしの、日々の読書記録です。
お仕事では身体を、読書では頭もしっかり動かしたい。
文学が好きですが、ジャンルとらわれずまんべんなく読むようにしてます。
たまに映画。

 

 

 

わたしは女性なので、なんとなく助手目線(女性)でこの主人公(男性)を見てた気もするけど、ええー好き避け…?この主人公複雑すぎて取り付く島もない…と思って読んでいたら、20歳の青年のお話でした(でも20歳の恋愛ってこんな感じでしたっけ?この主人公もうすこし若い感じがしないでもない)。

 

昔は死病だった結核患者として療養している主人公が、生死の話題は深刻になるからと女性とのあれこれを手紙に書いていたけど、理由をつけるとか体裁をととのえるとか、でもそうすることに対して特別無理してるわけじゃないんだろうなという感じが若さだなと、恋愛に限らずナチュラルにかっこつけることに対して「そんなことしても意味ないし」「誤解されてこじれるだけだし」みたいな効率性が先に立つわたしにとってはすこしまぶしい気がします。

 

こちらは太宰治には珍しい明るい青春小説とされているみたいだけど、でもわたしにとってはえ、そうなの?って感じ。

『人間失格』や『斜陽』に出てくる男性登場人物とすこし暗くて複雑な印象があまり変わらない感じ。

もしかしたら色眼鏡かも?

角川の『女生徒』に出てくるような太宰治の描く女性はリアルだなと思って好きなんですけど、男性に関しては理解できなくはないけどあまり共感できないというか、読んでいても疲れてしまうときがあります。

 

でも全く逆のことを言っていた知人男性がいたりしておもしろいなと思ったし、太宰治の描く女性も男性もどちらもそれなりにクセがあると思うけど、太宰治の描く人物は自分の好き嫌いや社会的な善悪ともかく魅力的だと思っている。

 

どうちがうのかと考えてみると(太宰治の描く女性はふてぶてしく強く、逆に男性は繊細な印象)、わたし自身が単純に強い女性が好きということと、男性にはもうすこししっかりしてほしいんだけど!という単純な希望ではあるけど、自分が弱ってるときなんかは強い女性は鼻についちゃって繊細な男性に心寄せたりして、読む時期や自分の状態や状況によってはコロコロ印象を変えちゃったりするから、わたしのふてぶてしさも相当w

 

 

 

でも最近、こちらを読んですこし印象を変えた部分もあって、題名からはまったく想像できずに知らずに読んだ、太宰治が亡くなったときの坂口安吾の太宰治評。

 

不良少年とキリスト

 


 

 

太宰治の作品は、主に学生時代に大体の本を読んでいると思うので(ちなみに『パンドラの匣』も再読)、だから逆にこうやって今感想を書くということが意外と難しい〜

 

 

 

僕も以前のように、マア坊に対して固くなるような事はなく、いまでは何だか皆を高所から見下しているような涼しい余裕が出来ていて、自由に冗談も言えるし、これもつまり、女に好かれたいなどという息ぐるしい慾望を、この半箇月ほどの間に全部あっさり捨て去ったせいかも知れぬが、自分でも不思議なほど、心に少しのこだわりもなく楽しく遊んだのだ。好くも好かれるも、五月の風に騒ぐ木の葉みたいなものだ。なんの我執も無い。あたらしい男は、またひとつ飛躍をしました。