読書記録『献灯使』 | 岡崎市ヨガ/ななよが『日々是好日』

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『献灯使』多和田葉子
 

 
初めての多和田葉子さんの著書で、いちおうディストピア小説といわれているようだけど、それを知らなかったわたしは、奇妙ではあるけど東日本大震災後のある意味理想的な世界の話だと思って読みました(江戸時代の生活は不便だけどecoだ、みたいな感覚)。今までこれはディストピアですといわれるものを読んできてるけど、結局どんなものがディストピア小説なのか、いまだに定義みたいなものをまったくつかみきれていません(「ユートピアとディストピアは表裏一体」ということを聞いたこともあります)。

短編小説集ですが、正直表題の『献灯使』筆頭にどれもすこし読みにくくて、難解だしだからこそありえない世界な気がするけど、例えば自分自身何かがうまくいかない時なんかは「あの時どうすればよかったのかな」とか「ほかに別のやり方があったんだろうな」という分岐点を感じることも多くて、東日本大震災後も何かのきっかけがあればこんな世界になったんだろうな、何が違ったのかな、と考えたりするくらい、わたしにとってはどこかで納得できるエピソードだしとてもリアリティがあります。

主人公の1人の曾孫の無名は、身体の機能はあちこち壊れているかもしれないけど(だからこそ?)悟ったような完全な印象を受けたし、だから「献灯使」にも選ばれたのかなとか(でも実際に献灯使がどんな目的で何をする人なのかよくわからないけど)、この先は無名みたいな人がたくさん生まれるのかなとか想像したりもしました。

この『献灯使』単体の話はアメリカでは賞を取ったり評価が高いということで、難解な話だしどういうところが評価されたのか想像しにくいけど、言葉を扱う作家なのに(直接的な)言葉以外で何かを表現するということ(言葉を使う以外の表現者ならわかる)、例えばヨーロッパの人がとらえる「禅」と日本人のとらえる「禅」は厳密には違うと思うけど(別に国じゃなくても個人によっても違う思うものの)、何かを感じ取るというのは同じで、この作品からも日本人とは何か別のものもしくは日本人では感じ取れないものを感じ取ったりしているのかな、と思いました。
 
難解な小説だったので感想いけるかな、と思っていましたが、意外とすらすらいけたので今自分でびっくりしてます。


終わりが見えていると、かえって安心する。医学の最終目的は決して死なない永遠の身体をつくることだと子供の頃は思い込んでいたが、死ねないことの苦痛については考えてみたことがなかった。

 

 

 

 

 

書いてて楽しいので最近は記録ばっかりになってしまっているけど、そろそろ別の話題も!と考えています。

いつも読んでくださっている方、気長にお待ちくださいね~😆