東日本大震災の日、この場所、この椅子に座った直後に大地震が来ました。
今日は、雨が降りそうな曇り空ですが
時間は14時半ごろ、店内にはいり注文をして座席に座って間もなくです。
今、思いだすだけでも背筋が凍るような揺れ方でした

店内の棚が大きく揺れ動き、真ん中にある丸いテーブルには、女子高校生が勉強をしていたの。
窓の近くには小さなお子さんを連れたお母さん

揺れ方が尋常じゃないことを察知した周りも慌てて ↑丸テーブルの下に隠れ
アルバイトの若い店員も顔がこわばる様を目の当たりにしたのを鮮明に覚えているものです。
揺れているテーブル下でのメールを打つ私

長い時間の揺れで、乗り物酔い状態に。。。。。
脳裏には、日本崩壊のイメージが

揺れること5分以上
収まるのを待って、数分もすると電話もメールも繋がらない


長い時間の揺れで、乗り物酔い状態に。。。。。
脳裏には、日本崩壊のイメージが


揺れること5分以上

収まるのを待って、数分もすると電話もメールも繋がらない

私は途中で仕事を止め、家路に向かうことに

何故なら人生で初の大きな地震で家の中が何事もなく済んでいる訳がないと察したからです。
当時は自宅で国家試験の勉強をしていた息子とも連絡が取れず、同じ仕事をしていた嫁とも連絡が途絶えていて、安否確認が出来ないもどかしさを味わいながら帰路を急いだものです。
車の中で見る 安藤アナの「緊急速報です!」の津波情報が
車の中で見る 安藤アナの「緊急速報です!」の津波情報が

この間 数回の大きな揺れもありました

信号待ちをしていた橋の上で、また同じような揺れを味わった時は本当 生きた心地がしない。
人間 窮地に立った時、一番大切な人を思うものです。
もう会えなくなる、、、、と



あれから、3年9ヶ月

東日本は、大きなダメージを受けて、パイプラインも乱れ、それでも日本人はがまん強い
そして、私の環境も大きく変わりました
はらいちは忘れられない思い出です

そして、私の環境も大きく変わりました

はらいちは忘れられない思い出です

人は、日々の生活に流され、感情も薄らいでいきます

先日、母が福島県浪江に帰りたいと云いました。
やはり、嫁に嫁いで子育てをした生活の場

土地も墓もそのままで、つい先日 高速道路が開通したと知り、春になったら原子力発電所の近くの実家に行ってみようと思います。
私は三歳までしか居なかったのですが、父の里は今でも思い出にあります。
私は三歳までしか居なかったのですが、父の里は今でも思い出にあります。
前に進みましょう~




