代償(リスク)のない情報など意味がなく、ただで入ってくる情報はそれ相応の価値でしかない、と私は思います。
真に有益な情報は、時間的代償・金銭的代償を払ってたくさんのところに情報収集にいっても、かつ手に入りづらいのです。

たまにこうおっしゃる人がいます。
「友人からいい情報をただで教えてもらった。ツイてる!」
私は苦労して情報を手に入れたその友人の方こそ真のツイてる人だ!とも思います。

教えてもらった人は、情報を自分の足で探し自分の目で見極め、自分の耳で聞き分けているという過
程が抜けているがゆえに、一過性のツキでしかなく、努力から得たものではない偽りのツキに踊らされているのです。
過程においてまったく自己成長してないのです。
そして、代償のありがたさをわかってないのです。

情報を見極める過程は、人を見極める過程でもあります。
そして自分自身を見極める過程でもあるのでしょう。
すべてにおいて「ただでもらうのではなく、代償を払って手に入れる」という覚悟が、情報を見極め、自他の人を見極める第一歩であるのだと思います。
代償を払った見極めが、たくさんの素晴らしい出逢いを生んでくるのだとも思います。
「代償(リスク)を払って生きていく強さをもつ」・・・これは人生の要諦のひとつであるのかな、と思う今日このころです。