自分の友達のお父さんボビーが癌を宣告されました。余命は、後2週間ぐらい。とドクターに言われました。ボビーは、オーストラリアに来てから自分の息子のように自分をかわいがってくれた、言わばオーストラリアのお父さん的存在でした。自分の本当のおとうさんは、ろくでもなくどこかへ行ってしまったので、ボビーによっておとうさんの愛情というものをオーストラリアで感じたと思います。その人が遠くへ行ってしまうと思うと思わず彼の前で号泣してしまい、ボビーも震えながら”なんで、泣いてるんだ”と自分を励ましてくれました。75歳とこの時代まだまだ若い世代で癌になり、病気と闘いながら病院で生活してる、自分達の前では、ジョークも言い続け、笑わしてくれました。
namyのブログ-w
愛する家族が亡くなってしまうことの寂しさ、そしてなにもできない自分の無力さを感じていると、なにか、途方もなくいらだった気持ちになる、寂しさ、悲しさ、そして無力さが心の中で交じり合っています。
津波にしろ、地震にしろ、癌にしろ、死んでいい人なんていないのに、そしてこれが、運命というならば、くそっくらえ、だー
涙が止まらない、
そんな自分に自問自答して、なにが、大切か、と、金があれば、癌は、治せるのか、忙しく金稼いで、それで、本当に幸せなのか、思い出は、帰ってこないぞ、
じゃ、なにが大切なんだ、どれが幸せなんだ。よくわからなくなってくる、
わからない、でも生きていることがすばらしい、健康で行き続けていくのが、すばらしい。
どんなに困難があっても生きることをすばらしく思える。
そんな人生にしたいと思えた日だった。