こんにちは、なむら(@michipokomichi)です。
私は腹が立っている。
自分に腹が立っている。
悔しくて悔しくてたまらない。
先日、運動会があった。
8:15開始という早い時間だった。迷ったが前乗りして行くことにした。たぶんどっちにしろ眠れないなら先に家にいる方がいいかと判断した。
その日は見事晴天ではなかったが、暑くもなく、今までにない運動会日和だった。正直、段々運動会もどうでも良くなっている自分がいるのに薄々気付いている。気付いていないふりをしている。
ミチの参加する競技だけ見て、終わったら家に戻ることにしていた。運動会は午前中だけで、その土日は午後にサッカーの練習があった。なんと諭吉は練習に参加させる気だった。屋外に午前中ずっといて、そのあとサッカーなんて賛成できない。その場合は日曜は休ませるべきと言った。結果、土曜は運動会のみ、日曜はサッカーになった。
しかしイレギュラーが起きた。運動会の朝、諭吉が「熱が出た」と言い出したのだ。朝の時点で38度。私は言葉にならなかった。
幸いミチは元気で、なんの症状もないので運動会に参加することにした。諭吉は何食わぬ顔をして、マスクもせずに運動会の観覧をした。
私は恒例のように「思いやり席」というベンチに座って観覧をした。3年生は80m走とダンス競技だった。ミチは足が早くない。走者は足の遅い順で、ミチは2レース目だった。2レース目の中では早い方だよ!という宣言通り1位を獲得した。
ダンスは動画を見直すと6分あった。その振り付けを全て覚えたのは凄いことだなと思った。間違えた様子も見れなかった。頑張って練習したんだなと思った。
その2つを見て私は家に戻った。諭吉は一緒に帰るために最後まで残った。その時点で諭吉の具合がどうかなんて知ろうともしなかった。
予定時刻より押して閉会式のアナウンスがスマホに通知が来た。準備して帰りの会をやって徒歩だから…と考えて昼食を作り出した。予想通りの時間に帰ってきて、ミチは「ただいま」より先に「クラクラだよ〜」と声に出していた。少し嫌な予感はした。
2人ともいつもより食欲はなかった。ミチにはいつもより少なめによそったが、それでも残した。やっぱりこの後サッカーなんて行けるわけなかった。
「じゃあ、みんな休憩、休んで!寝てください!」と言った。諭吉はすでに自分の部屋で寝ていたので、「寝る前に薬飲んで」と残っている解熱剤を飲ませた。ミチは「どのくらい寝るの?」と聞いてきたので「1時間は寝よう」と言ったら「えー!」とリビングに転がってアニメを見出した。寝室で寝るよう促したが、無理矢理連れて行く体力も気力も私にはなく1人で寝室で寝た。
15時のアラームで目が覚めたものの身体はまだ重たく、しかしおやつの時間だしとなんとか起き上がってリビングに行ったらミチはもう起きててYouTubeを見ていた。
おやつを食べさせて、ぼーっとしても諭吉は起きてこなかった。また寝室に戻っても良かったが、そういう感じでもなく、トイレとお風呂と階段の掃除をした。夕飯の支度もした。もうやることはないなという頃に諭吉は起きてきて「あちー」と言って洗面所に消えて行った。また熱は上がっていたらしいので、「明日必ず内科に受診すること」と言って部屋に戻った。
その日の夜にあの後ミチを留守番させて、土曜午後やってる内科に受診したと連絡があった。インフル・コロナ・溶連菌いずれも陰性で喉の風邪、という診断だった。
私にはどうでもいい情報だった。
翌週、私はいつもの内科に行ったり手話講習会に行ったりした。水曜日になっても諭吉の熱は下がらなかった。様子を見に行くべきか…と思った。諭吉の状態はどうでもいい。ミチのお世話をできているかが心配だった。
案の定木曜日、諭吉のまだ熱は下がらず、しかし休診日で薬も貰えないという状況でヘルプが入った。仕方がないのでお昼に様子を見に行った。諭吉はたまご粥は食べ飽きたしウィーダーインゼリーの類もうんざりという感じだった。でも何かは食べなければならないので、少し味の濃いもの、我が家っぽい雑炊を作って与えた。
覚悟はしてきた。栄養ドリンクも飲んできたし、追加も買ってきた。今日は夜までいるからとにかく熱を下げてくれという思いだった。
この数日は冷凍食品のピザとうどんの交互だったらしい。学童もお迎えには行かず、1人帰りをしてもらっていたらしい。
夕飯にはそぼろ丼を用意した。あとミチの好きなコールスロー。汁物は作るか迷ったが、全部食べれる気はしなかったので用意しなかった。
学童の終わる時間まで寝室で休んだ。いや、正確には横にはなっていたが頭はフル回転していた。帰ってきたらアレしてコレして…考えていたら眠れるわけなかった。
終わる時間に合わせて校門まで迎えに行った。ミチは私の姿を見るとビックリしていたが喜んでいた。一緒に通り道にあるドラッグストアに行って買い物をして帰った。ミチは「昨日ね、神社に行ってパパのお熱が下がりますようにってお願いしたんだよ。今日もして帰ろうと思ってたんだよ」と言った。毎年初詣に行く小さな氏神様。そこに寄っていたという。ミチはミチなりに考えている。よく出来た子だなと思う。
家に帰ってからはご飯が炊けるまでまだ時間があるから宿題やろうと言ったが、キッチンのお鍋を見て「この中見てもいい?」と聞いてきた。「何も入ってないよ」と言うとガッカリした。「お味噌汁作ってない、豆腐とワカメなら作れるけど作った方がいい?」と聞くと「うん!」と張り切って返事をした。「ミチも作りたい!」と言うので、乾燥わかめを水に戻して、豆腐を一緒に切った。「3×3で、さらに2倍になるから豆腐は何個になった?」と算数の真似事もした。
ご飯が炊けるまで漢字の宿題をした。字が汚いのはまぁいいとして、間違えたものを綺麗に消すのは頑張ろうよと話した。
ご飯が炊けたので、諭吉の分のうどんも用意してミチに運んでもらった。諭吉は自室から出てこない。
ミチと2人で食事をするのはいつぶりだろうか。自分で作った味噌汁は美味しいらしく、ペロリと飲み干した。いつもこのくらい早く食べてくれたらいいのにね、そんなこと話しながら食べた。「今日はお休みの日じゃないのにママがいて特別だから!」ミチは喜んでいた。
全ての食事も30分ほどで完食した。見たいテレビがあった、というのもあったかもしれない。休みの日とはテンションが違うなと感じた。お風呂の時間までに残りの宿題を片付けて〜と話していたら「耳がガサガサ言う」と耳かきで自分の耳をほじりだしたので、「危ないから貸しなさい」と耳かきを受け取り床に転がってもらった。両耳から見事に大きな耳垢が出てきた。まだカサカサすると言っていたがこれ以上はお医者さんじゃないと無理だからお風呂に入ろうと言って、お風呂に入ってもらった。「洗うの手伝ってほしい」と言われたが断った。「前はやってくれたのに!」と駄々を捏ねたが「もう小学生でしょ!」と1人で入ってもらった。
そこでやっとひと休憩。諭吉はリビング横の部屋にいるので声は聞こえているはずだが出てこない。
保育園の頃はこれをワンオペ毎日やってたのかーと思った。凄いことをしていた。今まさにワンオペでお迎えから寝かしつけをしている人がいたらそれは凄いことだと褒め称えたい。よくやっている。しかも保育園の頃は宿題がなかったからまだ楽だったのだろうか、いやしかし今は話せば多少は言うことを聞く。どちらが辛いとか楽とかではない。とにかくワンオペ育児なんてやるもんじゃない。
「お風呂出たよー」とあっという間に声が聞こえて身体に薬を塗る。もう掻きこわしがひどい。どこになにを塗ればいいか分からなくなっている。とりあえず保湿だけしっかりする。
そのあとは残ってる音読の宿題をやって、歯を磨いて寝かしつけ。その頃になると私の疲労も目に見えてきたのか「具合悪いのにごめんね」とミチに言われてしまった。諭吉にではない。ミチに言われたのだ。「これって文句って言うんでしょ?」と聞かれたので「それは違う、‘しょうじょう’(症状)だからいいんだよ。言って欲しいことだよ」と言うと「顔のこと?」と聞かれたので「それは‘ひょうじょう’(表情)」「え?いいことした時もらうやつ?」「それは‘ひょうしょう’(表彰)だね」「似てて難しい〜」なんて話しながら寝室に行った。
寝室でも寝る前にお話をしたがるので、「ミチくん、これはね協力戦なんだよ」と話した。「ママも頑張る。ミチくんも頑張る。そうじゃないとママはまた入院してしまう」と早々に切り札を出した。ミチは「それは大変だ」と理解したようで、少しお話をして、それからしばらくして寝息を立てた。
1週間ぶりだもんね。お話ししたいこと沢山あるよね。分かっているよ。聞いてあげたいんだよ。でもね、ダメなんだ。他のお母さんができること、私には出来ないんだ。
ミチが寝ている横で私は泣いた。
体力がない。
気力もない。
こんな未来が待ってるなんて想像しなかった。
予想できていたら、そもそも結婚なんてしなくてよかった。
ミチに申し訳ない。
小学3年生に我慢をさせている。
私なんて母親になるべきではなかった。
母親になる資格はなかった。
でも、なりたかった。
なれると思いたかった。
自分に腹が立つ。
悔しくて仕方がない。
自分の無力さに腹が立つ。
現実を受け止めて、自分にできることをやる。
それだけ。
そこに集中しなくては。
潰れてる場合じゃない。
自分を整える。
今はそれに全力を注ぐ。
それだけ、