こんにちは、なむら(@michipokomichi)です。

 

さて入院です。

一応連絡しとくかと実母に電話したら、ついて行くと言って聞かないので母と一緒に行きました。前回と同じ病院です。しかし前回私は意識が朦朧としている中で入院手続きしていたのであんまり覚えていません。

それと前回入院した時は急性期治療病棟というところで男女混合でした。そのため個室で中から鍵がかけられるようになってました。

が、男女混合は前回トラブルがあって避けたかったので、今回は女性病棟にしてもらいました。療養病棟と言って、比較的安定した人が入院しているそうです。女性のみなので大部屋です。同じ部屋の人が平和ならいいなあと思ってました。でも精神科だし、みんなカーテン閉めて自分の世界に入ってるだろうし、そんな心配にならなくても大丈夫かなと…。

 

受付で名前を言って待合室で待っていると、電話をくれたケースワーカーさんが案内してくれました。病棟に入る前にまずPCR検査をしました。結果待ちの間に書類に署名したり説明を聞きます。結果が陰性だったので無事入院です。会計窓口で現金類を預けます。あと銀行の通帳とカードですね。入院中に使うお小遣い用でもあります。現金は管理料として1日110円かかるので、なんだかもったいない気持ちになりました。

お金を預けたらすぐ病棟に入るのでそのまま母とはお別れになりました。後日の面会で母は「あんなにすぐ離れるとは思わなかった」と話していました。閉鎖病棟ですからそんなものだと思いますけどね。

 

病棟に入ったら貴重品(部屋の鍵、スマホ、ポケットWi-Fiなど)と、現在の内服薬全てをナースステーションに預けました。他のものは自己保管なので病室に持って行きます。(シャンプー類、スキンケア用品、筆記用具、手帳など)今回の私の場合は薬の調整のための任意入院なのでかなりゆるいです。

あとはざっと病棟内を案内されてご自由に、となりました。11時入院だったので、一息つく間もなく昼食の時間でした。食事は自分で食べれる人は病室で食べます。

 

食事の量にまず驚きました。

「多い…!!」

1食で入院前の私の3食分くらいありました(体感で)。白米は丼みたいなお椀でした。完食できるわけもなく、食べれるだけ食べてそっと片付けました。皆さんあんなに食べれるの?と疑うほどの量でした。退院する頃にはなんとか半分は食べれるようになりました。すぐ胃もたれする私でしたが、病院食は胃に優しくて、揚げ物がでない限りは胃もたれせず美味しく頂きました。

朝はパン、昼夜は中華と和食が交互にきて、洋食メニューが出ることはほとんどありませんでした。でも1番美味しくて記憶に残ってるのはハヤシライスです。あれはお腹いっぱい食べましたね。

困ったのは朝食です。毎朝8枚切りの食パンと、小皿のサラダ、200mlの牛乳でした。食パンにはパキッテ(旧ディスペンパック)が毎日違う味がついてるものの、飽きましたねー……。しばらく食パンは食べたくありません。これも皆さんよく食べてるなと思いましたね。

 

入院して2日くらいで主治医の先生と会いました。診察と言っていいのか?というスタイルで、お部屋に来てくれることもあれば、廊下で会ったときに話したりする感じでした。一応『診察室』という名前の部屋はありましたが、診察で使ったことはありませんでした。あるいはナースステーションに先生がいる時に私から声をかけるということが多かったです。

3日目の朝イチで採血をしてプロラクチンを確認、そして薬の変更となりました。1週間くらいはだるくてだるくてずっと寝てました。それ過ぎると身体が慣れてきたのか動けるようになりました。(しかしどの薬を変えたとかは分からない)

 

スマホの使用許可はおりてましたが、使えるのは1日10分というなかなかハードモードでした。ただ、公衆電話は使い放題だったので、非通知でも繋がるように設定してもらって家に電話は出来てました。そのおかげで寂しい入院生活を乗り越えられたなと思います。

あとは週一でミチに手紙を書いてました。返事は来ませんでした。あとから聞いたら「だってぇ…」となんか言い訳してました。恥ずかしかったみたいです。諭吉に聞くと手紙はとても楽しみにしていたし、届いたときはとても嬉しそうにしていたそうです。それを聞けただけで良かったかなと思いました。

 

薬の効果はすぐ出るはずもなく、しばらくはのんびりぼんやり過ごしました。やることがなさすぎて入院中は日記を書くことにしました。なんかあればすぐメモってました。手帳はあっという間に埋まり、メモ帳を買って続きを書いてました。

欲しいものを買うときは売店で買うのですが、閉鎖病棟のため直接買うことはできません。週に1度、カタログのような冊子から伝票に記入して提出するという形でした。これがお小遣いから引かれていきます。主に買うものは日用品と毎日のおやつです。毎日の献立はカロリー計算されていましたが、おやつは好きに食べていいみたいでした。それくらいの自由がないと皆さんやっていけないので許されていたみたいです。私は体重の増加が怖いのと、お菓子食べて胃もたれするのが嫌なので飲み物だけにしていました

 

他の入院患者さんですが、いろんな人がいました。40人くらいの病棟ですが、半数以上は高齢者の方でしたね。退院したくても身寄りがないとか、帰る場所がなくて退院ができないのかな…という印象でした。同年代くらいの方とちょっとお話ししたことがありましたが、その方も退院しても実家には帰れず、でもグループホームは嫌で10年入院していると話していました(嘘か本当かは分かりません)

病室でずっと大きな声を出している人、洗面所で何回も手を洗っている人、裸で病棟走り回る人、医者の説明を聞かず自分の要望だけ通そうとする人、本当にいろんな人がいて、いろんなことを考えさせられました。

 

でもそれに惑わされず、私は私で乗り越えられたかなと思います。途中、不穏になったり、不安になったりしましたが、その度に医者に相談し、頓服を出してもらいました。

入院して3〜4週間ほど経ち、薬も変えてしばらく経つしどうだろうと2回目の採血がありました。これでプロラクチン下がってくれないと困る…と祈りながら結果を待ちました。

結果は全く下がっていませんでした。先生も「良いお知らせにならなくて残念です」と謝ってくれました。いや、先生は悪くないんですけど。精神科での薬調整は現時点で限界です。そうすると、以前脳外科で処方されていたプロラクチンを下げる薬を飲んで効果が出るかを試す時が来ました。

となると、入院している必要性はないのです。体調も安定してますし。早く退院したかった私にチャンスがやって来ました。事前に何度もシミュレーションして、先生に退院したいことを伝えました。先生も私が早く退院したがっていたことは知っていたので、「じゃあそうしましょうか」と、退院する流れになりました。

 

退院する日が決まるとウッキウキです。お部屋でじっとしてることも出来ないので、病棟をひたすら歩いたり、1人でうろ覚えラジオ体操をしたりしてその日まで過ごしました。側から見たら「歩き回る変な人」だったでしょうね。

病室内の人とはすれ違ったら挨拶する程度でしたが、退院することが決まったと報告するべきなのか?と迷いました。でもまるで退院マウントになりそうだなと思って自分から言うのはやめました。長年入院している人は、看護師さんの対応なんかで察するのか「退院決まったの?」なんて声かけられることもありました。

退院日も実母が同行すると言って聞かないので、仕方なく一緒に手続きすることになりました。余計なことに実姉2人にも報告して、みんなで見舞いに来ることも考えていたそうで、精神科の閉鎖病棟でそんなことするのほんとやめて…って感じです。実行されなくて良かったです。

 

無事部屋に帰ってきて、片付けをして、ホッとしました。病院から訪問看護ステーションには連絡をしてもらってたので、退院してまもなくいつもの看護師さんに久しぶりに会いました。

そのあとは市役所や保健所に連絡したりして、1週間はバタバタしました。ひと通り落ち着いて日常が戻ってきました。

ひとりで部屋にいると、久しぶりのこのひんやりした感じが懐かしく感じました。長い入院生活だった気がしますが、最終的には40日で終わりました。

 

これからです。

また、これからこれから。

これで一旦、整ったはずです。

あとは右肩上がり。

がんばりまーす。

 
 


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