徒然名夢子 -12ページ目

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

新潮日本古典集成別巻 三
南総里見八犬伝第六輯
巻之四


第五十八回 窮阨初解転遭故人 老実続主家報旧憂

      窮阨(きゅうやく)初めて解けて転(うたた)故人に遭う
      老実主家(ろうじつしゅか)を続(つぎ)て旧憂(ふるきうれい)を報(つ)ぐ

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 小文吾は怒りにまかせて篙工(かこ、船頭や舟を漕ぐ者)等を撃とうしたとき、思いかけなく自分の親の名前を呼んで止める者があり、それは誰かと見ると、別人ではなく昔から知っている犬江屋の、篙師依介(ふなのりよりすけ)だったので、

 「これはどうしたものか」

 とばかりに、櫂(かい)をカラリと投げ捨てて、

 「久しぶりではないか、依介さん、急いでいるので、掻い摘まんで、頼みたいことを話しましょう。私は去年から友人と一緒に、自分にとっても続いていた厄難に奔走しながら、さらにこの辺りでは、意地の悪い人に抑留させられて、命もすでに危うかったのを、ある人の助けによって、ようやく脱出できたのですが、あれを御覧下さい、追っ手の兵士等は、西の岸に集まってきて、諸手を挙げて招いています。それらは恐れるに足るものではありませんが、私を救った恩人は、先にこの流れを下っていった柴舟に飛び乗って、自ら艪(ろ)を取って、南の方へ行ってしまいました。私があの人に問うべき事、そして言ってもらいたいことがあるのに、あのまま分かれてしまえば、再び再会することは難しいでしょう。そこで、船子(ふなこ)等に話をして、その舟を追って下さい。私も一緒に力を合わせましょう。さあ、急いでください。」

 と急がせると、依介は納得して、ゆっくりと身を起こした船子等に振り返って、

 「皆の衆よ、今、聞いたように、この旦那(だんな)は日頃から、お前達にも話していた、かの行徳の犬田様だ。今朝未明(まだき)より何の縁か、敵に追われて、友を追って、一人で河を渡ろうとして、偶然にも我が舟に、お乗りいただくのは幸いではないか。今より少しに南の方へ向かった柴舟があるそうだ。ここからでは見えないが、皆が力を合わせれば、追いつけるだろう。皆、艪を押せ、さあ」

 と言葉忙しく急がせて、自ら舵を取って、船子等は「犬田」の苗字に、ますます驚き、かつ畏れて、誰かがこれまでの言葉を反省して、

 「我々はこの春から、犬江屋に奉公している者ですが、あの兄公(せなご)とは知らなかったとはいえ、ひどく無礼をしてしまいました。お許しください。」

 と詫びて、一斉に艪を押して、櫂を操り、声を合わせて漕いでいると、自然と流れる下り船で、瀬はとても速く、追風(おいて)も良く、瞬く間に一、二里も進み、品川沖も見えるところまで、南を目指して追ったのだが、例の舟の行方もわからず、後方からこの舟を追ってくる敵もいなかった。

 その時、依介は、あちこちを見渡して、

 「なぁ、古那屋の若旦那、近くでご覧になって居たでしょう、篙工(かこ)の衆は、腕(かいな)の限りに、漕ぎ走らせてここまで来ましたが、探していた柴舟は、何処かに行ってしまい、見付けられませんでした。思うに、その舟の荷は軽く、舟もまた小さいために、遥か先に行ってしまったのでしょう、労して功が無い事でした。この事はまず考えるのを止めて、私たちと一緒に、市川へ立ち寄りませんか。行徳の事、市川の様子をお話しする事が必要ですが、付近に他人が多いので、舟中では話しづらいです。それよりも去年から今日までに貴方の身の上を聞かせて下さい。私たちは昨夕の夜船に、干鰯(ほしか)を千住(せんじゅ)へ積み送り、帰りには大豆小豆の交易物をを受け取って来て、今日この荷主に渡さなければ、約束を違えることになり、不都合が生じます。まず、朝食を食べましょう。濡れた衣(きぬ)を俵の上に、開いて干してください。さあさあ」

 と言いかけて、片隅で焦げていた木竈(ほこへっつい)に、粗朶(そだ、折った木や柴)を折って入れて焼くと、茶を煎じながら網に入れた飯櫃(いいひつ)の蓋を開けて、燕脂殻塗(べんからぬり)の二荒椀(にこうわん)で、斑(まだら)に剥げていても誠の心が堅地に表れている椀に飯を盛り、差し出すと、燻し焼きの油揚豆腐に、へばりついた消し炭を払う火箸も木の端で、竹の節皿を置いて、葛西茄子が紫で灰の中で、糂粏漬(じんだづけ、発酵させた米糠に漬けた漬物)が屁臭くはあるが、空腹で飢えていたので、三つ、四つを取り添えて、精悍(かいがい)しく勧めてくるので、小文吾は心に残った、犬坂毛野に別れてから、終に会うことができなかったが、本意ではない事ではあるが、知遇も別離も時の次第によるもので、またどうすることもできない。勢いはこのようにして、市川への舟に乗りながら、犬江屋へ立ち寄らずに、今は行徳へ帰らないのは、親を思わない者に似ている、と思うのだが、なお思い重ねて、父上と母上の事を思案しながら、少しずつその事を依介に任せることを話すと、依介は歓んで、ゆっくりと船子に云々、と心得させて、忙しく舟を東に押し向けて、只管(ひたすら)漕がせていた。小文吾は、今、依介が、行徳の事、市川の為体(ていたらく)について話す事があるというのを、早く聞きたいと思うのだが、人には知らせたくないというのを、強いて問うのは、はなはだ不安な事だ、と自分に言い聞かせてみるものの、侘しく落ち着かないまま、船に任せて行くと、その日の午の頃(お昼頃)には、すでに市川に到着し、依介は荷物を荷主の河岸(かし)に水揚げして、舟を犬江屋の門辺(かどべ)に繋いだのだった。


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