徒然名夢子 -10ページ目

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

新潮日本古典集成別巻 三
南総里見八犬伝第六輯
巻之四

 

(この3 ここから)

 その後、依介は妻を側に進ませて

 「犬田の旦那様、これは先にお話しました、妙真様の姪で、船橋におりました、私の妻でございまして、名前を水澪(みお)と申します。御覧下さい」

 と言うと、小文吾は頷いて、

 「名だけは前から聞いていたが、よい時に対面できて、まことに頼もしく、歓びもひとしおに思います。重縁(じゅうえん)といい、相応しい当家への新婦(嫁)になられたので、沼藺(ぬい)の事を思い出すと、その妹にあったような気持ちがします。勉めて家内を治めてください」

 とこころを開いた言葉に、水澪は顔を赤らめて、まず小文吾の健康を問い、かつ文五兵衛の悼みを述べて、妙真の薄命であることを言葉少なく言い出すと、依介はしばらく思案して、

 「旦那様はどうお考えでしょうか。ここまで帰ってきたのですから、安房へお向かいなされば、親御公の墓へ詣で、妙真様も慰めることができるでしょう。一度あそこに参られたならば、里見殿のお慶びも大変な事と想像できます。私がお供しましょう。近日中にお立ちください」

 と言うと、小文吾は頭を振って、

 「どうして、安房に行かれようか。里見殿の恩徳を仰げば、ますます高くなっているが、同じ因果の友を連れていません。ましてや私が預かった、曳手と単節を失いながら、その行方もわかっていませんので、恥じは有りますが、功など無いので、親の墓参りをしたいからといって、おめおめと彼の地に向かえば、友を捨て、義に背いて、栄利を急いでいると、他人は言うでしょう。私は別に思う事があるので、しばらくここに逗留して、親の中陰(ちゅういん、人の死後四十九日の間)を送りましょう。そして密かに手紙を書いて、妙真様へ告げ知らせなければ、後々までも必ず思いを残してしまうでしょう。ただし、他言は無用です」

 と留めて、申の刻から笠深く被って、行徳の香華院という菩提所に向かったのだった。そして住持に対面して、文五兵衛の菩提の為に、ここにも石塔を建てることにして、月忌年忌にあたる毎に、両親の追善読経をするように、懇ろに依頼すると、多くの財を布施した。

 このようにして、小文吾は次の日から喪に籠もって、七日、七日の忌日毎に、今回行徳に建てた親の墓に詣でていると、すでに五十日になり中陰は終わっていた。そして、こうかと決心したので、依介夫婦に告別(いとまごい)して、

 「今こそ、あなた達が私の身の上を思うように、妙真途弥(との)に詳細を報告して、慰めてください。小文吾がこのように無事であるように、親兵衛もきっと無事でしょう。八人の犬士が逢う日に、見参いたします。自らを大事にしてお待ちください。と伝えてください」

 と言って、行方も知らせず出て行くのを、依介夫婦は止めることもできず、里外れまで見送ったのだった。

 ついには、小文吾は市川の旅宿を去って、これから先、どのような物語があるのか。それは次の巻に説き示そうではないか。


(この3 ここまで)
(第五十八回 了)
(里見八犬伝第六輯巻之四終)