百人秀歌・狂歌解題改 七十五 相模 | 徒然名夢子

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

七十五 相模

うらみわびぬ ほさぬ袖だに ある物を 恋にくちなん 名こそおしけれ

 

相模(さがみ)は平安後期の女流歌人である。夫・大江公資の任地・相模国に随行したが離別した。中納言・藤原定頼との恋愛が有名であるが、後に一条天皇の皇女・脩子内親王(しゅうしないしんのう)に出仕し。内親王がまもなく死去すると、後朱雀天皇の皇女・祐子内親王に仕えた。この間、様々な歌合に出席し活躍した。能因法師、和泉式部などとの交流も、その歌集(家集)からも様子わかる。「後拾遺和歌集」では和泉式部に次ぐ第二位の入選歌数で、他にも作品が多数残っている。

その割にはプロフィールが不詳で、実父は不明である。養父は源頼光(摂津源氏・但馬守)、母は能登守・慶滋保章の娘である。

さて本歌の初句・四句切れの歌だが、初句からリズムが独特だ。「うらみ・わびぬ・ほさぬ」、「悲しみ・悲嘆(ひたん)・涙する」のそれぞれに通じている。そして「ほさぬ」=「干さぬ」で衣の「袖」に掛かる。「だに」は仮定の意志・願望を示すから、「袖だに」で「せめて袖だけでも」となる。「ある」は「有る」「在る」であろうか。「くちなん」は「評判が衰えてしまうかもしれない」。歌意は次の様になる。

 

「何度も結婚し、悲しみ、悲嘆、それに涙することも多く、袖をぬらしたままで、また新たな恋をするということは、そういう恋の浮き名で、私の家の評判を貶めてしまうかも知れません、まことに残念なことです」

 

折句をみてみよう。

冠・うほあこな

沓・ぬにをんれ

これは「仲人(なこうど)が阿呆なのだ、恋(れん)心が煮ぬ(高まらない)のに、結婚させるなんて」という意味になる。この時代で「阿呆」が愚か者という意味に使うのは斬新である。「呆」はあきれて、口が開いてしまった人を表していて、これに人偏が付くと、人の理性であきれぬよう意識を維持する、即ち「保つ」という意味になる。「阿」はへつらうという意味で、口からでまかせを言っている人をいう。したがって「阿呆」とは、でまかせや嘘を言って、他人にあきれられる人の事を示している。おそらく、本歌の真情では、結婚の仲裁をした人物が婚家両家に都合の良いことばかりを言って、自分の利益のために急いで婚姻を決めたのだろう。そのこと自体が「阿呆」であり、何度も結婚してしまった自分自身への想いも重なっているのだろう。

本歌のポイントは初句の「うらみ・わびぬ」である。字余りは気をつけなければならない、というのは当然であり、余分なのは「う」か「ぬ」で、「憂」か「怒」である。「つらいこと」も、「無しにしたい」という気持ちが初句に表している。

解釈が難しいのが「あるものを」である。初句の「うらみわびぬ」は三文字・三文字で、中を抜くと「うみ・わぬ」、これは「産み」「あなたの」となるので、連想されるのが「子」である。「袖だに」を「袖の懐の谷間」と考えれば、そこに抱く「ある物」は「生る物」となり、「幼子」のイメージが浮かんでくる。すると、歌意は次の様に変わる。

 

「離別したものの、私の恋の浮き名で、家の評判が貶められてしまっては、この幼い子の将来を汚してしまうかもしれないと思うと、居ても立ってもいられません」

 

これは母親としての子を思う気持ちとすれば、恋の歌ではなく、子を思う親の愛情の歌になる。「残念」な気持ちで落ち込むより、どうしてよいか解らず「居ても立っても」いられない、という気持ちの方が強く響いてくる。折句の解釈も変わり、「仲人が婚姻を急ぐあまり、相手の方のことを知らないままで、結婚したら幼子の将来はどうなるのでしょうか」という意味になる。

 

狂歌にふさわしい、というか頻繁に登場するのが「うらめしい」という詞である。落首には特に多い。

七十五 木下長嘯子(きのしたちょうしょうこ)  四生歌合・虫歌合

狂)怨めしな 君も我にや ならひけん ふはふはとして つれなかりけり

 

題は「芋虫」である。「君」は歌合の相手の歌の「蝶」を示している。「蝶はふわふわとしているが、蝶の幼虫である芋虫もふわふわとしているとは、なかなか言えないなぁ」という歌意である。芋虫は気味が悪かったのか、歌合では、この芋虫の負けであった