百人秀歌・狂歌解題改 六十三 赤染衛門 | 徒然名夢子

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

六十三 赤染衛門

やすらはで 寝なましものを さ夜(よ)ふけて かたぶくまでの 月を見しかな

 

赤染衛門(あかぞめ・えもん)は平安中期の女流歌人で、赤染時用の娘とされているが、赤染衛門の母が前夫の平兼盛との間に妊娠し、再婚先の赤染家で産んだ子であることから、後に平兼盛との間に親権裁判が行われる。判決は赤染時用の子として認定され、平兼盛は敗訴した。

赤染衛門は、文章博士・大江匡衡(おおえのまさひら)と結婚し仲睦まじい夫婦であったと有名である。仕事としては、藤原道長の正妻・源倫子と、その娘の上東門院・彰子に仕え、紫式部、和泉式部、清少納言、伊勢大輔(いせのおおすけ)らの超一流女流歌人と交流し、その才能を開花させた。和泉式部の歌風が情熱的(恋しくて、気がおかしくなってしまうか、死んでしまいそう!)であるのに対して、赤染衛門は穏やかで優雅であると評されている。後拾遺和歌集への撰歌も和泉式部の次に多くあり、二人を較べてみるのも面白い。

さて、この歌は後拾遺和歌集に前書きがある。

「なかの關白少將に侍りける時はらからなる人に物いひわたり侍りけり。たのめてこざりけるつとめて女にかはりてよめる」

訳してみると、

「中関白・少将(藤原道隆)の傍らに控えたとき、姉妹から伝えたい心情を、聞かされていたので、代わりに歌を詠んでみよう」。

 

本歌の歌意は次の通りである。

 

「あなたがいらっしゃらないので、心もとなく、なかなか眠りにつけなくて、そのまま夜は更けていきます。なので、月が傾くまで、じっと月を見つめているだけです。きっとあなたの私への心も、あの月のように誰かに傾いてしまったのでしょうね」

 

初句「やすらはで」、安らったまま=たたずんだまま、という意味も持つ。そして、この「やすらわで」は下句「月を見しかな」に掛かる。夜遅くに起き出して、軒下にたたずんで月を眺めている、自分自身をふと見やって、思い人の心を推し量っている自分に気がつく。すべてが虚構かも知れないが、たまたまこれを詠んだ前の夜の月が美しかったのだろうか。

この歌で不思議なのが「かたふくまての月」だ。「かたふく」=「かたむく」で、月が沈みかかる景色を詠んでいるわけだが、勢力が衰えるという意味にも使う。中関白に対してこのような詞で詠むのは、すこし説教じみていないだろうか。おそらく大酒飲みで軽口の道隆の性格を皮肉ったものだと思うと、次のような解釈ができる。

 

「また、妹の所においでにならず、夜通し宴会を開いてお飲みになっていたそうではありませんか。そのようなお振る舞いでは、あなた様の評判も徐々に悪くなってしまいますよ」

 

晩年の道隆の振る舞いは素晴らしい者だったらしいが、関白職は嫡男に嗣がせることができず、冷酷無慈悲の弟・道兼が継ぐ。すぐにその彼も落ち目になり、知略・内裏内の評判も良かった道長の世になっていくのだ。そういう意味では赤染衛門の予言のようなこの歌は、意味がある。

 

狂歌

六十三 詠み人知らず(番匠(大工))  東北院職人歌合

狂)墨金(すみがね)の 直きを正す 身なれども かたぶく月に 勾張(こううばり)ぞ無き

 

「墨金」=「曲尺・まがりがね」、「勾張」=「突っ支い棒」。この大工の歌に合わせて、次の鍛冶の歌がセットとなって競い合っている。

 

狂)月に寝ぬ 宿とや人の 思ふらん いつも絶えせぬ 相槌(あいづち)の音

 

大工も、鍛冶もすばらしい出来だ。職人魂がひしひしと伝わってくる。