序
やまと歌は、いにしえの人の心を写す鏡のようでもあり、霞のようでもある。かたや狂歌、俳諧はやまと歌の歌合、連歌を糧として、その時代の民々の心根を、おもしろおかしく詠み上げ、悲しみも苦しみも喜びも楽しさも、すべて笑いの中で天地のもとに返そうとするものである。
定家の選んだ百首の秀句を、現代の人々の心で理解するために、表面に詠まれた景色だけでなく、歌の真情を探り当て、作者の心の叫びを発見するのが、この百人秀歌・狂歌解題の目的である。定家の百首に比べた狂歌は、私が撰歌したものだ。中世から近世にかけての狂歌・俳諧から、もしくは連歌の一部を切り取って、定家撰歌の歌に比べ置いた。
歌の解釈については、一般的、伝統的な解釈に加えて独自の解釈も多数加えてあり、これにたいする正当な評価は行っていない。こう考えたら、真情がよりわかるのではないか、といった程度で捉えて頂ければ幸いである。
平成二十四年四月
記名夢子
かつて解題と称して書いた物を、誤りを正し、不足は補い、余分なものは削ることで、よりわかりやすい文章になるように改訂した。
令和二年三月二十五日
記名夢子
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一 天智天皇
百人一首は、かつては憶えさせられたが、ほとんど憶えていない。憶えている和歌が小倉百人一首なのかどうかさえわからないものも多い。特に私のように俳諧研究から狂歌にのめり込んでいった人間にとっては、本歌歌は、すっかりどこかへ行ってしまっているのだ。
さて、定家撰歌(百人秀歌)を順番に見ていこう。一番は天智天皇が詠んだ歌である。
秋の田の 刈り穂の庵の 苫をあらみ 我が衣手は 露に濡れつつ
とても素朴でありながら、堂々としている雰囲気が漂う。天智天皇は、乙巳の変で、蘇我入鹿を藤原鎌足と共に暗殺し、政権を王家に取り戻した人物で、近江に京を移し、律令制度の初期段階である近江令を打ち立てた人物だ。そのような天皇が、のんきに秋の稲の刈り入れにやってくることがあったのだろうか。ただ、彼の世になって急激な食料生産向上がもたらされたのは事実で、大きく世の中が変わり、豊になっていく。当然王家がその恩恵を最大限に受ける。だから、この秋の田の庵で、彼の手にぬれた露は、生産農家の血や汗、そしてそれらの努力によってもたらされた経済的豊かさを象徴していると考える。
この歌のパロディが、「才和歌集(狂歌才蔵集)」にある。
一 詠み人知らず 狂歌才蔵集
狂)秋の田の 刈田のあとを 咎められ わが後ろ手に 雪は降りつつ
才和歌集は天明七年(一七八七)刊行され、四方赤良(よものあから:赤人のもじり)が撰歌したものだ。同時期に蜀山人(大田南畝)がおり、最も狂歌・俳諧ネットワークが発展した頃である。そこに全国各地の雑俳が集まってきて、このような名作が撰歌された。当時は、気象や地理環境の影響で、全国的に食料生産量が人口に比して圧倒的に不足していた時代だ。ある時、東北の百姓が年貢を納められず、冬になって奉行所に捕らえられ、裁きの場に引き据えられ。そして、奉行の厳しい言葉の合間に、雪が降り始めた。すると百姓は意を決し、「申し上げたき義がございます」と申し立て、年貢の代わりに田畑を弁納(物納)すると述べて、この歌を詠んだ。すると、この歌のあまりの出来映えに、奉行は感動し、この百姓は許されたという。
天智天皇の苦労、国を治める困難と喜び両方を、同時に歌い上げるという彼の和歌も素晴らしいが、飢饉にあえぐ百姓の魂の叫びを歌にし、それを愛でた役人が居た、ということのほうが、まったくもって日本人らしいではないだろうか。
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