そして、また主の音音は密かに考える事があり、行きがかり上の旅人である荘助に留守を任せて、田文の地蔵の森の方へ、二町、三町と向かいながら、曳手(ひくて)と単節(ひとよ)が帰ってくるかもと思い、しばらく道に立ち止まっていたが、向かいから来る松明の火影を見ることはまったくなかった。もともと、物を買うために、出たわけではないので、そこからやがて帰ってきて、諸折戸の辺りから、家の中を様子を窺うと、道節と荘助の問答がわずかに聞こえてきたので、驚きながらも迷うこと泣く入らないで、足音を忍ばせて近づいて、縁側のところにある柴垣に手をかけて、なおその話し声を聞いていた。中ではそうとは知らずに、道節が今、移した行燈の火を振り返えると、荘助はゆっくりと膝を進めて、
「なあ、犬山殿、はたしてあなたの体の中に、牡丹に似た痣があれば、私の宿世からの兄弟なのです。隠しなさるな、どうなのですか」
と再び問うと、道節は頭を傾け眉をひそめて、
「怪しい事だ、私の痣まで、どうして知っているのか。私は生まれながらに、左の肩に瘤(しいね)があった。六歳のときに故があって、一旦横死したときに不思議に蘇生して、瘤の上に痣が出来て、形は牡丹の花に似ているのだ。そして数多くの年を経て、先月の十九日に、円塚山のほとりで、お前に瘤を斬られたとき、すこしも痛みも感じなかった。次の日、肩を撫でて見たところ、瘤は消えて、刀傷(たちきず)の後だけしかなかった。さては、その時この傷口から、出た玉を持っているのか。不思議と言っていいほどだ。そうはいってもよくわからないのは、なぜ、私の痣のことで、宿世に縁があるというのか。その理由はなんだ」
と疑問を口にすると、荘助はニコッと笑って、
「千万の言葉を費やしても、証がなければ嘘になりましょう。疑うのであれば、まずこれを見てください」
と、言いかけて、諸肩を脱いで、背中を向けて、背の痣を見せると、道節は急いで行燈を引き寄せて、じっくりと見てみると、荘助にもまた痣があり、これは身柱(ちりけ)のそばから、右の肩甲骨の下のあたりまであり、形は牡丹の花に似ていた。以前にかがみに照らして見た、自分の痣によく似ていて、思わず大息をついて、
「奇妙なものだ、不思議な事だ」
とため息をついた。
その時、荘助は肌を収めて、襟の縫い目に隠していた、忠の字の玉を取り出して、
「これは、あなたの肩の傷口から出た物です。そして、私の秘蔵の玉は、守り袋と一緒に、あのとき、あなたに取られてしまいまして、文字こそ異なりますが、この玉とよく似ているのを、ご存じでしょう。よく見てください」
と言って、玉を渡すと、道節はこれを手のひらに受けて、ゆっくりと行燈に向けて、じっくりと見回すと、感嘆はいよいよ浅くなく、自分の玉をまず、腰著(こしつけ)の印籠の中に収めて、襟にかけた荘助の守り袋を返して、
「前に、私はこの袋を開いて、見たことも無い玉を見つけたのだ。また臍の緒を包んだ紙に、お前の乳名(おさなな)、誕生日、またその玉を感得したことの事柄を、しかじかと書き付けてあったので、これは必ずただの人ではなく、再会する日があるだろうと、そのまま肌につけていたけれども、このような奇特があったとは、一切思ってもいなかったので、私の傷口から出た玉と、痣さえも互いに似ているとすれば、宿因が無いとは言えない。ただ、その理由を知らないだけだ。自分の痣はこれだ」
と言って、左の襟を押緩めて、肩を顕して示すと、荘助は欣然と、守り袋を受け納めて、道節の痣を見ると、これまでの推量が一つも違っておらず、思わず怡悦(いえつ:ひじょうによろこぶこと)に膝をうちならして、
「あなたにこのような痣があることは、円塚山で妹御に、告げていたときに立ち聞きして、ほぼ知っておりましたが、今、目の当たりにこれを見て、宿因が無いということはないことを悟りました。もともとこの玉は人が作ったものではありません。近世、安房の里見の息女、伏姫のことをご存じでしょうか、類い希な烈女でした。その姫が幼いときに、様々な事があり、特に役行者が現れたそうです。これは感得の数珠の数取りの玉だそうです。そして長禄二年の秋、伏姫が富山で自殺したとき、その数取りの八つの玉は、一筋の路の白気(はくき)とともに、八方へ散乱して、最近になって同じ因果の二三人が、下総の行徳で、里見の旧臣、金碗入道丶大坊(かなまりにゅうどうちゅだいぼう)、密使の蜑崎十一郎照文(あまさきじゅういちろう)等に巡り会って、その来歴を正確に知ること賀できました。それによればこれらの玉は、伏姫が臨終の誓いによって、その気とともに散乱して、私たちの仲間の人間に出現したようです。これらの玉には、仁義礼智、忠信孝悌の文字が別々に、ひとつひとつに書かれているそうです。これををもって因縁の証拠となると思うのですが、いかがでしょう。また私達の仲間は、体の中に牡丹に似た痣があるのは、八房の犬の毛色に関係しているのです。その八房の犬の事は、このような話があり」
と、そお概略を説き示して、
「因縁はこのようなことですが、私と同じ様に痣があって、それに似た玉にしても、同じ様に持っているものは八名はいます。あなたをあわせて六名は、既に会うことができました。残る二名も遠からず、その数に加わることは、これまでの事を考えると明らかでしょう。そもそも、あなたと私の他に、同じ因果の豪傑は、武蔵国大塚の住人、犬塚信乃戍孝、これはあなたの妹御、浜路節婦が許嫁の相手で、考の字のある玉を持っています。次に下総許我の浪人、犬飼現八郎信道、これは信の字の玉を持っています。次に行徳の市人の子、犬田小文吾悌頼、これは悌の字の玉を持っています。次に市川の里人、山林房八の孤児、犬江親兵衛仁(まさし)、これは仁の字の玉を持っています。各々その身に痣があって、場所こそ違いますが、その形は皆同じです。このことから考えると、出生の地も、父母も、各自異なるといえども、宿世では兄弟だったのが、自然に犬によって、名字にしたのでしょう。奇妙というべきです。とても畏れ多いことですが、あの姫様を、我らの宿世の母として尊敬しますが、それをああむくことはしてはならないでしょう。同じ因果の八士が集まれば、皆一緒に安房へ参って、里見殿に仕えるのです。これはその元に帰るという義なのです。このように因果は浅からず、なお宿業の関係するところなのか、薄命になるものもないが、今のところは各々が安堵せず過ごしています。例えば、犬塚戍孝は伯母夫婦に謀られて、村雨の大刀を失い、それを知らないまま許我へ参って、思いがけず罪を被せられました。その時、犬飼信道と、組み討ちして船に落ちて、偶然にも行徳に漂白して、犬田父子に助けられ、なおかつ山林房八夫婦が身を殺してようやく、再度の危窮を逃れることが出来ました。私は、またあの夜去って、おもわず主人の仇を、当座に一人打ち殺したのを、仇の仲間にあざむかれて、死刑の直前に、犬塚、犬飼、犬田の三勇が、法場(おきてのにわ)にやってきて、奸党を討ち果たして、私を助け出しながら、一緒に逃げて、戸田川の畔で、尾っての城兵に追い詰められて、渡りかねて死にそうになったところ、神宮の矠平とかいう、漁夫の助けによって、船を獲て敵から逃げることが出来ました。ただかの矠平だけでなく、その親族という二人の侠客、力二、尺八と呼ばれる者が、蘆荻(ろてき:蘆と荻)の中から現れ出てきて、奮撃突戦が華々しく、力二郞は水中で追っ手の対象、丁田町進を討ち取り、尺八は向かいの岸から、渡ろうとする敵をささえて、頻りに挑戦して、我々はこれを遠くに見て、再び前面に返して渡し、助けようとして船を読んだところ、矠平は一切戻らず、かねてから世をはかないと思っていたのか、船を沈めて、身ももろともに、入水して死んでしまったのだ。これによって私たちは、本意ではありませんでしたが、そこを去って、すでに夕暮れになっていたので、かの二人の勇者の存亡については、定かに見果てることができませんでした。心ならずも暗い夜に路を求めて走ったのでした」
と話すのを、音音は立ち聞きしていて、怪しんで、
「もとの夫、矠平様、甲夜にまさしく、渡しの家の門に立っていたのは幽霊だったのだろうか。そうとは知らずしてつれなく、拒んで、すこしも相手をしませんでしたが、神ならぬ人間ですから、わからなかったのは悔しい。それだけならず、子供の存亡、心許なく、どうしましょう。悲しい事です」
と声を立てて、泣きだして、ひどくふり落ちる涙を恥じて、今更に家の中に入りたいのに入られず、心を隔てる芝垣に、すがってひとり伏(ふし)沈んでいたのだった。
(その3 ここまで)