南総里見八犬伝 二 第四輯第四巻第三十八回 その4 | 徒然名夢子

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

 その時妙真は、丶大、照文等の側近く、親兵衛を世話していて、そして、
 
「このような幼子を、はるばる安房へ徴(めさ)れる事は、こよなき幸いではございますが、三犬士すら辞み申されるのに、物の数にもならぬ親兵衛が、ひとり先立ちして、行けますでしょうか。退くとも進むとも、人々と一緒に、と申すのは情けではなく、今、孫のみが徴れるのが、後ろめたく思うからです」
 
と言った。道理であれば小文吾も、甥のために言葉を添えて、
 
「では一緒に」
 
と辞したのだった。しかし照文は、ほとんど許すつもりはなく、説き諭そうと争うのを、丶大は急に推し留めて、
 
「今、また、このような問答で時間をかけるのは、無駄なことです。親兵衛は小児といえども、これは犬士の一人であれば、即ち、麟趾龍孫(りんしりゅうそん)です。これを他領へ置いてはおけません。そうとはいっても、今つれて安房へ行くのではなく、後に話し合っても遅くはないでしょう。文五兵衛が帰ってきたら、外祖(おおじ)の意見もあることでしょう。伏姫様の御数珠は、役行者の通力をもって授けたものなのです。それで姫様が幼稚(おさなく)ていらしゃったときから、亡くなられたその日まで、行者の示現がしばしば顕れました。振り返って思うと、私と十一郎と、犬田と山林が甲乙を試みようと修験者の出立でこの地に来たのは、図らずも四犬士を知ることになったのは、これもまた役行者の利益なのでしょう。そうであれば親兵衛の進退も、自ずから判ってくるはずです。朝靄(あさもや)が深く立ちこめていますが、今は少し時間が経ちました。小文吾は謀ったように、急いで荘官の許へ行って下さい」
 
と促せば、
 
「あっ」
 
と応えて、信乃の血付きの麻衣の両袖をさらりと裂き取って、房八の首を引き寄せて、手を返して素早く包むと、見ながら泣いている妙真は、包まれなかった袖に涙の雨を、晴れ間に絶えて亡き人に、着せなければ後の形見になる衣を、これがこの世の別れだと、知らずに慕う幼子は、
 
「伯父様、どこへいかれるのですか。私も一緒に」
 
と纏わり付くのを、信乃はあやして引き離し、いとのもつれの苦しさと、歎きは同じ煩悩の、犬飼に目を合わせながら、一緒になって悲嘆していたのだった。
 
 このようにして小文吾は、脇差しをとって腰に横たえ、首級を右手に掻き込んで、丶大と照文に別れを告げて、信乃と現八に後のこと、
 
「鹹四郎等の屍は、入江の淵へ」
 
と密かに示し合わせて、妙真を慰めまた励まして、親兵衛の玉の事さえ、
 
「堪えられぬ歎きに、何もかも嫌になって、失わないように」
 
と心を引き締めて、身を起こすと、しばし見送る人々を、立たして後に横たわる、哀れな夫婦の亡骸の、夫は元のままではなくて、骸(むくろ)と首が死に別れ、歎きの霧が苦しみを、靄のように胸も曇って、まだ暗い、門の戸をそっと押し開けて、翼がしおれた鳥のようなものが、朝立ち遠く出て行ったのだった。
 
(その4 ここまで)
(第三十八回 ここまで)
 
里見八犬伝第四輯巻之四終
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巻之五
 
 第三十九回 一葉を浮かめて壮士両友を送る
       雲霧を起して神霊小児を奪う

 第四十回  岳三を誣て奸党残毒を逞くす
       群小を射て豪傑法場を閙す

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 今年はめずらしく、作者の稿本が早くできたのですが、画工と傭書(ようしょ:清書のこと)の作業が滞って、右の一巻(ひとまき)いまだ、版木師の細工が終わっていません。時が遅れることを恐れるがゆえに、まず、第四の巻までを一帙(書物のこと)として、この度売り出したのです。第五の巻は、張数が特に多いので、分けて二巻として、この巳の初春に遅滞なく、次いで出版します。もともとこれは長編の草紙物語ですので、毎帙(まいちつ)五巻と決めたのですが、分けて二つを出版することは、作者は許さないことですが、実にこれはやむを得ないことなのです。請い願わくば、四方贔屓(よもつひいき)の読者の方々が、この帙の巻が足らないことを咎めることなく、また次の春の花とともに、待っていただいて、後の巻々を、開いて下さい。
  五本を四 もとまず見する 冬の花 ひと木は春へ さきのこすなり
                                山青堂欽白
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編述      曲亭馬琴 稿本
浄書      千形仲道 謄写
繍像画工    柳川重信
剞劂(きけつ) 中村喜作 刊刻
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里見八犬伝第四輯第五之巻 第四輯の内この巻不測に付五ノ上下二冊は来巳の正月松の内無相違出板仕候
朝夷巡嶋記第四編 五冊  此節売出し申候 第五編来歳嗣出
里見八犬伝初輯ヨリ第三輯マデ十五冊 先年より追々出板 第五輯来歳嗣出
美濃旧衣八丈綺談 全五冊 絵入りよみ本古今未曾有の因果物語
犬夷評判記 横本全三冊  八犬伝順島記のひやうはん記なり
越後雪譜 江戸著作堂老人著 越後塩沢鈴木牧之考訂 近刻
秘笈名方 神田 瀧沢興継宗伯纂輯 多く古今の奇方を集む 近刻
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文政三年庚辰
刊行書肆
 大阪心斎橋筋唐物町   河内屋 太郎
 江戸馬喰町三丁目    若林 清兵衛
 本所松坂町二丁目    平林 庄五郎
 筋違御門外神田平永町  山崎 平八