承久記(前田本) 現代語訳 高重討死の事 12 | 徒然名夢子

徒然名夢子

日々此々と過ごしけるに
東に音楽の美しきを聴けば、其処何処に赴き
西に優れたる書物のあると聞けば、其処何処に赴き
其処においても何処においても
心楽しからむことのみを願い生きることは
我の本心にほかならず

高重討死の事 12
 
 五月末日に、東国より大将の北条相模守時房、北条武蔵野守泰時が、遠江国橋本に到着した日、京方の佐々木下総前司頼綱の郎党筑井四郎太郎高重という云う者が、その土岐に東国に下ってきて、北条時房の来着を聞いて、馳せ参じたが、大勢に道を塞がれてしまった。逃れる隙もなく、先陣の軍勢に紛れて橋本に到着した。今は逃げなければと思い立ち上がって、馬の腹帯を強く締めて、高師の山に登ろうと歩ませて云った。その数十九騎だった。
 
 相模守時房はこれを見ていて、
 
「この軍勢の中に、私の許可無く、どこかへ向かうのは怪しい。止めよ」
 
と云ったので、遠江国の住人内田四郎が、これを受けて、
 
「駿河前司義村が、
 
『御方の大勢の中に、京方しか居ないはずだ。道々・宿々ご用心ください。』
 
と言っていたことを思い出しました」
 
と言い終わる間も無く、鞭を挙げて追いかけていった。
 
 内田兄弟六旗、新次郎、弥太郎、新野右馬允六十旗で、追いかけていく。筑井はこのことをしらないまま進んでいたが、音羽河という河端の岡があったので、下っていって、
 
「今にも何事かあるだろう」
 
と、馬の足を休ませて居たところに、鎧を着た者が険しい面持ちでやってきた。
 
「誰かが、高重を止めによこした者のようだ」
 
と、傍らの小屋があって、そこに入って装具するところに、内田が押し寄せて、
 
「この小屋に籠もっているのは、何処の住人か。名前を明かして、何処の主人か申すが良い。こちらは、大将の命令によって、遠江国住人内田四郎等が参上した」
 
と言うと、筑井が前に出てきて笑いながら、
 
「かねてより、私のことはご存じないと思いますが、佐々木下総前司盛綱の郎党で筑井四郎太郎平高重と申します。京方の大勢を敵にして、京から参ったのは、あることの謀の内である」
 
と返事をすると、内田六郎が胸板目掛けて矢を射かけると、筑井はたまらず、小屋に逃げていった。
 
 これを見て六十余騎は、少しも怯まず追いかけた。安房国住人郡司太郎という者が、小屋に入ると、高重は弓を捨てて、組み合ったが刺し違えて死んでしまった。高重の郎党七人も共に討たれた。残った十二騎は、逃げるかと見えたところ、そうではなく、大勢の中に突っ込んで、一騎も残らず討たれてしまった。十九人の首を一所に懸けて晒した。その後、相模守(北条時房)、武蔵守(北条泰時)がここを通るときにこれを見て、主従共に大剛(だいこう:優れて逞しいこと)の健気(けなげ)な者であると、感じ入ったのだった。