小文吾は、行燈の戸口をゆっくりと押し向けつつ、なお外の方に気をつけて、門の戸をハタっと引き寄せて、枢(くるろ・くるる:戸締まりの為の落とし木)は一重(ひとえ)で、夜は五鼓(いつつ)、打ち添える里の拍子木も、いつもより速い感じがして、考えて独りで頷いて、
「この頃は夜が短いな。今暮れたと思ったら、馬鹿な奴らに関わり合って、無駄な時間を過ごしてしまった。奴らが理由も無くやかましく声高に、話をしたから奥にも聞こえただろう。思えばそこにも、かしこにも後ろめたいものがある」
と独り言をいいながら、終わらぬ思案で、片あぐらで膝を抱いてつくづくと、思えば悲しい親の事
「今頃はどのようにして、この夜を過ごしているのだろうか。暗いところにおしこめられて、なられぬままに蚊にくわれてはいないだろうか。とても痛ましい限りだけど、今宵一夜、堪えてください。田畑を売り、家を売り、財によって贖って、足らないときは私が代わりに、救うしか方法はないだろう。しかし、救うのが難しいのは奥の旅人、破傷風の妙薬は、我が亡き伯父の伝法がある。しかし、入手するのが難しく、鮮血が今も私の股を劈(つんざ)い、絞り取るようにでてくるが、それに合致するのが女子の生血(せいけつ)で、命が失われていなければ、私と、私の身を傷つけてでもするような技なのだが。ただ彼の人を船に乗せて、今宵密かに逃げてしまおうか。いやいや、里の出口には、水陸ともに予てより警固の夥兵がいると利いている。それを切り開いて、脱出したとしても、それでは我が父の命が危うくなる。ああ、どうすれば天の日が、世に誠ある人のことをこのように照らしてくれるのだろうか。彼の人は、孝士(こうし)なのだ。我が親は義士(ぎし)だ。私もさすがに孝と義のほんの一部を知っているだけだが、善に与して福(さいわい)なく、義に依て禍(わざわい)ありという。しかし恨むべきではないのだ。世に幸あると、幸がないことのはその人の善悪に、原因があるわけではない。それを天命と知っているときは、たとえ、元(こうべ)を失っても、その志を受け継ぐのだ。このようにして夜が明けるまで、謀を得ることができず、思った事は画餅(がへい)である。許我の人(現八のこと)が言ってしまったので、話し合いをする者もいなくて、しかも便りもない、居たとしても便りはない。さて、どうすべきか」
と胸に問い、自分で答えて苦しい数々の思いは余りあって、有明の鹿ならなくに尺八の、笛の音が奥の部屋で吹きすさむ、調べ妙なる管(たけ)の名も、思案も今宵一夜きり(一夜ばかり、と尺八(ひとよきり)に掛けている)、明日は私の身上にと友の身上に、心は減る手で、人の智を借る手、ともに打ち塞いで、混乱は何時の日かおさまるのだ。[注1]
「荒れた心のまま弄んでみたようだ。あの修験者は法螺貝を換えて笛を今吹いていて、離れ座敷も近くにあるようで、隠れる者は物の音に慰められず、中途半端に心の苦しみに添うように、本当にいろいろな浮世があるものだ」
と独り心に思うことを、言い合うことはなく、小座敷の信乃がようやく体を起こして、細い灯火に向かって、我が身の行く末と、これまでの人生を思い、なおも考えて、
「果敢なき露の草枕、旅の宿りに恩義の人を、巻き添いにしてしまうのは、本望ではない。先に犬田が心配している顔色が出ていたので、不安には思っていました。しかし、それだけでなく、主の翁が荘官の許に呼ばれて捕らえられ、甲夜(よい)を過ぎてもまだ戻っては来ていない。それに、待っていない人までもが数多来て、大声で喚き、しゃべり方で、すべて私のことではないだろうか。村雨の刀を失ってから、いよいよ日陰の花としてしぼむような病気になって、今後のことはわかっているのだ。ことの難儀におよぶと聞けば、刃に伏して私は死のう。何としても誠のある人の親子を、長い間苦しめることなどできない。世に惜しくはない命だが、栗橋で袂(たもと)を分けた、額蔵、すなわち荘助の、様子を聞きたい。浜路も不憫だ。玉椿(たまつばき)が八千歳(やちとせ)までと行末掛けて頼んでみたが、女子の心はことさらに、恨んではいないだろうか、嘆いては居ないだろうか、彼らだけではなく現八、小文吾、助けある身ならば不覚をとらず、短慮は後に回すように、虎は死して皮を残し、人は死んで名を遺したまえ。死ぬべき時に死ななければ、世に疎まれて恥をかいてしまう。あの尺八は私の為に、弥陀(みだ)の慈航(じこう)の棹(さお)の歌、謌舞(かぶ)の菩薩の音楽なのか。なおその様子を見て聞いて、最期に到れば刃をとって、少しの力は残っているだろう。確かに覚悟を決めた、心は清く行く水の帰らぬ悔(くい)はただひとつ、とくに、先考尊霊(せんこうそんれい)への顔向けができず、御遺言に刃向かうわけでは無いが、疎(おろ)かな愆(あやま)ちによって、野心間者と疑われ、身が落人(おちゅうど)と成り果てて、非命(ひめい)に終わろうとしているので、後々まで父祖の名を汚してしまうのでは無いかと思っているのだ。不孝の罪は九つの世を変えたとしても贖うことはできない。これだけが最期の憾みである。これも宿世の悪報かと考えれば仏説の、迷いは煩悩、有無を離れて自然に任せば、死ぬも生きるも皆、これが命なのだ。お許しください」
と言う様子に、岩に落ちる滝が砕けても、病気が長引くのに堪えかねて、心は決まりって傷みだけが繰り返し、とても切迫した丈夫(ますらお)の憾みも哀れだが、外に誰もそれを知らないように尺八が調べをとりどり吹きすさんでいて、夜はすでに五つ半輪(はんりん:半月)の月に代わって、筒提灯を、轎子(かご)の簾に照らさせて、引きそえて外にやってくる者があった。年齢は呉竹の四十代あまりの寡婦(やもめ)だろうか。まだ黒髪を惜しげ無く、断ったままの短い髷に、元結留の簪も目立たぬ無地絽の薄衣に白帷子を下襲、前結びの繻子(しゅす)の帯に、結び添えた唐組帯は、柳の腰に山鳥の、雄(お)の下垂尾(しだりお)の長庇(ながびさし)、みあげて門に進み近づき、
「よろしいでしょうか」
と訪問を呼び告げて、潜り戸をサッと引き開けると、小文吾は思わず頭を擡げて、キッと見て、
「これは突然に、戸山の妙真様ではありませんか。甲夜(よい)過ぎたのにただお一人ですか。何かあっていらっしゃったのでしょうか」
と問うと、微笑んで頷いて、
「いえ、私だけではありませんよ。沼藺(ぬい)と大八(だいはち)をつれてきましたが、途中で日暮れになったので、彼らを轎子(かご)に乗せました。私は持病に貧血があるので、轎子に担がれて揺れるより、歩いてきましたら夜道は涼しかったのです。良い事で来たのでは無いので、従者を伴わせなかったのは、その必要があったからで、いろいろと中断させる押し掛け客にならないよう、時間を外して訪れました。大戸を開けてくださいませ」
と他事なく言われて小文吾は、
「今夜はなぜか折りが悪く、来る人が可成り多いのです」
と不思議に思ったが、ほんの一時的であるし、話すこともないだろうと、さりげなくもてなしながら、
「それは、よくいらっしゃました。さあ、こちらへ」
と上座に勧めてやがて門の大戸を打ちから広く押し開くと、轎夫(かごかき)等は土間に、息杖突き立てて進み入り、板席(いたたたみ)の框(かまち)の側まで、轎子を横様に据えて、簾をひらりと掻き揚げると、見れば沼藺は熟睡して、大八を膝に乗せて、縮羅(しじら:縬)の単衣、緋の襦袢、帯は緞子(どんす)の黒(すみ)入り茶、交野賽(かたのまがい)を片結びして、照斑(てりふ:べっ甲の斑)の玳瑁(たいまい:ウミガメの工芸品)、櫛笄、鎌倉様で田舎では見たことが無く、派手にみえても十九歳、夜更けに子持ちの夜の鹿、秋にも会うことなく別れてから、心の痛み、色見えて、轎子よりゆっくり出ようとすると、揺れて目覚めて、
「あれ」
と泣く、大八を抱き直して、しずかに背中をたたき付け、
「家兄(いろね)暑さの那珂、後無事で、家尊(かぞ)もますますご健康でございますか」
と言いながら下げる頭が病気がちにみえて、ハタと落ちた簪も、別れの櫛かと嘆いて、涙をみせぬと背中を向けて、暗いなかで姑の背中を間に挟むように立ったのだった。
--------------------<<注釈>>-----------------------
[注1]有明の鹿ならなくに尺八の...
この部分の原文が散文的で、真に言いたいことを書いていないようだ。訳者の実力不足でよく読み込めない。「有明の」というので、この夜は月が出ていることはわかる。「鹿ならなくに」が不明。夜中に鹿は起きていないと思うのだが、「鹿」を先程まで騒いでいた弟子達に例えて、「馬鹿者達が騒いだおかげで」とでも訳す方がよいかもしれない。そして、三人組が行ってしまって静かになったところ、奥の部屋から「尺八の笛の音が奥の部屋で吹きすさむ」ように聞こえてくる。「すさむ」は「枯れる」に通じ尺八の音色のことである。
「心は減る手」は原文は「こころはメル手」である。「人の智を借る手」は「人の智をカル手」。「ともにうち塞いで」は「乏(とも)しくうちフサク」。「混乱は何時の日かおさまるのだ」は「紊(みだ)れを何日(いつ)かナヤスべき」。ここでは「自分の心が弱くなり、人の知恵を借りたとしても、一緒になって萎えていくが、そのような混乱は何時かは収まるにちがいない」といった意味合いだろうと思う
(その3 ここまで)